2025年1月30日
逃げ出した青年 前田大度 ある青年が、素肌に亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕らえようとした。すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、裸で逃げた。(マルコの福音書 14章51~52節) 主イエ […]
2024年12月3日
法的赦しと親の赦し――その違い―― William Macdonald 聖書に二つの異なる赦しについて書かれています。聖書を注意深く学ぼうとするなら、その違いを区別しなければなりません。その二つとは法的赦しと親の赦しで […]
2024年9月30日
恵みと責任 山岸登 というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。(ローマ人への手紙6章14節) このように語ったパウロは、一見矛盾するようなこと […]
2024年8月31日
ベタニヤのマリヤ 山岸登 十字架を前にした最後の週の初めの日、すなわち過越の祭りの6日前、主イエス一行は、安息日をベタニヤの外で過ごされて安息日が終わった時、すなわち私たちの太陽暦に直すと土曜日の夕刻6時過ぎ、ベタニヤの […]
2024年7月26日
快楽主義に警戒せよ 山岸登 神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思いながら、私は厳かに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさ […]
2024年6月27日
悔い改めについて 山岸登 イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなた […]
2024年4月2日
クリスチャンの戦い 山岸登 1.自我(罪)に対する戦い クリスチャンとしての正常な生活を生きるためには自我(罪)に対してどのような態度をとるべきかという問題が最も重要であると言えます。しかしこの問題に入る前に、クリヤーし […]
2024年3月12日
信じるだけではいけないのか? 山岸登 このタイトルの意味は、キリストを信じている者は、救われた後、どのような歩みをしてもかまわないではないかということです。 初信者の中にはこのように考える人がかなりいます。それは福音伝道 […]
2023年8月20日
主日礼拝の聖書的根拠 前田大度 最近、インターネット上で、一部のディスペンセイション主義者たちが、主日礼拝(日曜礼拝)には聖書的な根拠がないと発言しています。彼らはこう主張します。「イスラエルと教会とは別個の存在であり、 […]