ローマ人への手紙

第1章

 1 パウロ、キリスト・イエスの奴隷であり、神の福音のために選び分けられている、召された使徒より。
2 ──この福音は、神がご自分の預言者たちを通して、聖書の中で前から約束しておられたものであって、
3 御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、
4 聖なる御霊によって、死者たちの中から復活することで、力ある神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。
5 私たちは、このキリストを通して、使徒の務めという恵みを受けました。御名のためにあらゆる異邦人の中で、人々を信仰による従順に至らせるためです。
6 あなた方も、これら異邦人の中から召されて、イエス・キリストのものとされた方々です。──
7 ローマにいる神に愛されているすべての方々、召された聖徒たちへ。恵みと平安が私たちの父なる神と主イエス・キリストから、あなた方の上にあるように。
 8 まず何よりも、あなた方すべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝しています。それは、あなた方の信仰が全世界に伝えられているからです。
9 私が神の御子の福音を伝えることによって、真心から(祭司として)仕えている神が私の証人です。私は絶えず、あなた方を思い出しては祈り、
10 神の御心の通りに何とか道が開かれて、あなた方の所に行けるようにと切に願っているのです。
11 それは、あなた方にぜひ会って、霊的賜物をいくらかでも与えて、あなた方を強めたいからですが、
12 それ以上に、あなた方のところで、あなた方と私との互いの信仰によって、共に励まし合いたいからです。
13 兄弟たちよ、ぜひ知っていてください。私は、他の国々で実を得たように、あなた方の所でもいくらかの実を得ようと思い、あなた方の所に行く決心を何度もしました。しかし、今に至るまで妨げられて来たのです。
14 私には、ギリシア人にも未開人にも、知識のある人にもない人にも、負債があります。
15 ですから、私について言えば、ローマにいるあなた方にも福音を宣べ伝える心の備えができているのです。
 16 なぜなら、私はこの福音を全く恥じていないからです。なぜなら、福音はユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人を救いに至らせる神の力だからです。
17 なぜなら、福音には神の義が、一貫して信仰の原則で啓示されているからです。まさしく「義人は信仰によって生きる」と書いてある通りです。
 18 なぜなら、不義によって真理の働きを押さえつけている人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。
19 というのも、彼らが神についての知識を明白に持っているからです。神がそれを明らかにされたからです。
20 なぜなら、目で見ることのできない神のご性質、すなわちその永遠の力と神性は、世界の創造以来、神の作品によって認識され、明白だからです。その結果、彼らに弁解の余地はありません。
21 というのも、彼らは神を知っていながら神としてあがめず、感謝もしていないからです。実に、彼らの推理力は役立たずになり、彼らの愚かな心は闇となりました。
22 彼らは賢い者だと主張しながら、愚か者であることを暴露し、
23 不滅の神の栄光を、滅ぶべき人間、鳥、獣、地を這う生き物に似せた像に置き換えたのです。
 24 それゆえ、神は彼らを心の欲望から出た汚れた行動に引き渡されたので、彼らは自分たちの間で自らの体を辱めています。
25 彼らは神の真理を偽りと取り替えてしまい、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたのです。造り主こそ、とこしえに誉めたたえられるべき方です。アーメン。
 26 このようなわけで、神は彼らを恥ずべき欲情に引き渡してしまわれました。それで、女たちは自然な性関係を、自然に反するものと取り替えてしまい、
27 同様に男たちも、女との自然な性関係を捨てて、男同士で性欲に燃え、男が男と恥知らずなことを行っています。彼らは自分の誤りに見合った報いを自分自身で受け取っているのです。
 28 また、彼らはよく吟味したうえで、神を深く知ることに価値を認めなかったため、神も彼らを無価値な考えに引き渡してしまわれました。その結果、彼らはすべきでないことを行っています。
29 神は、あらゆる不正と邪悪さと貪りと悪意で満たされ、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいな者たちを、悪口を言う者を、
30 人をそしる者を、神を憎む者を、乱暴で横柄な者を、高ぶる者を、大言壮語する者を、悪の発案者を、親に逆らう者を、
31 わきまえのない者を、約束を破る者を、情け知らずの者を、無慈悲な者たちを(引き渡しておられるのです)。
32 彼らは、そのようなことを行っている者たちが死罪に値するという神の定めをよく知ったうえで、それを行っているばかりか、それを行っている者たちに賛同しているのです。

第2章

 1 それゆえ、他人を裁くすべての人よ、あなたは言い訳ができません。なぜなら、他人を裁くことによって、自分自身を罪に定めているからです。なぜなら、裁いているあなたが自分で同じことを行っているからです。
2 しかし、そのようなことを行っている者たちの上に、神の裁きが真理に従って下されると私たちは知っています。
3 そのようなことを行っている人々を裁きながら、同じことを行っている人よ、あなたは自分が神の裁きを逃れることができるとでも思っているのですか。
4 それとも、神の豊かな慈愛と忍耐と寛容さを軽んじて、神の慈愛があなたを悔い改めに導こうとしていることを認めようともしないのですか。
5 こうしてあなたは、悔い改めようとしないその頑固な心のゆえに、神の正しい裁きが現される御怒りの日のために、神の怒りを自分自身のために積み上げているのです。
6 神は各々に、それぞれの行いに従って報いをお与えになります。
7 忍耐して良い行いを続け、栄光と誉れと不滅のものを求める人には、永遠のいのちを報いてくださいますが、
8 利己的な動機から、真理に従わずに不義に従う人には、怒りと憤りが下ります。
9 苦しみと圧迫が、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、悪を実行しているすべての者のたましいにあり、
10 栄光と誉れと平安が、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、善を実行しているすべての人にあります。
11 なぜなら、神には分けへだてがないからです。
 12 それゆえ、誰でも律法を持たずに罪を犯した人は律法を持たずに滅び、また、誰でも律法のもとで罪を犯した人は律法のもとで裁かれるのです。
13 なぜなら、律法の教えを聞いている人が神の前に正しいのではなく、律法の教えを実行している人が義と認められるからです。
14 ――なぜなら、生まれたときから律法を持たない異邦人が、律法に記されていることを行っているなら、律法を持っていなくても、彼ら自身が自分に対する律法だからです。
15 彼らの良心も一緒になって証言し、互いの議論で訴えたり弁明したりするとき、彼らは自分自身の心の中に律法の行いが記されていることを示しているのです。――
16 神は、人々の隠れたことを裁くその日、キリスト・イエスによって、私の福音に従ってお裁きになります。
 17 さて、あなたは自らをユダヤ人と名乗り、律法に信頼を置き、神を(知っていることを)誇り、
18 御心を知り、律法から教えられて優れた物を見分け、
19 知識と真理の実体を律法の中に持っているため、
20 盲人の手引き、闇の中にいる者たちの光、愚か者の教育者、幼子の教師だと自負しています。
21 それなら、どうして他人を教えているのに自分を教えないのですか。盗むなと教えているあなたが盗むのですか。
22 姦淫を犯すなと説いているあなたが姦淫を犯すのですか。偶像を忌み嫌っているあなたが宮荒らしをするのですか。
23 律法を誇っているあなたが、律法を犯して神を辱めているではないですか。
24 まさしく「神の御名が、あなた方のゆえに異邦人の間で汚されている」と書いてあるとおりです。
25 なぜなら、あなたが律法の教えを実行しているなら割礼は有益ですが、律法に違反しているなら、あなたの割礼は無割礼になっているからです。
26 ですから、もし無割礼の人が律法の要求を注意深く守っているなら、その人の無割礼は割礼に等しいものとして判断されないでしょうか。
27 そして、生まれながらに無割礼の人が律法を守っているなら、律法の文字と割礼を持っているあなたを、律法違反者として責めないでしょうか。
28 実に、外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上の肉体の割礼が割礼なのでもありません。
29 むしろ、人目につかないユダヤ人が(真の)ユダヤ人であり、文字によらず御霊による心の割礼が(真の)割礼です。その人の誉れは人からではなく、神から来ます。

第3章

 1 「では、ユダヤ人であることの利点は何なのか。割礼の益とは何なのか」(と言うことでしょう)。
2 それはあらゆる点で大いにあります。なぜなら、まず何よりも、神の啓示が彼らに委ねられたからです。
3 「ではどうなのか。ある人々が信仰を持たなかった場合、その人々の不真実さが神の真実さを無効にするではないか。」
4 とんでもないことです。神をいつも真実な方とし、人はすべて偽り者とすべきです。こう書いてあるとおりです。
  「あなたが語る時、あなたは正しくあられ、
   あなたが裁く時、あなたは勝利されます。」
5 「だが、もし私たちの不義が神の義を立てているとすれば、何と言うべきか。怒りを下す神は不正ではないか。」──私は人間的な言い方で語っています──
6 とんでもないことです。もしそうなら、神はどのようにして世を裁くことができるでしょうか。
7 「だが、もし私の偽りによって神の真理がいっそう明らかになり、神の栄光となっているとすれば、なぜ私が罪人として裁かれなければならないのか。」
8 ある人々は、私たちも「善が現されるために悪を行うべきである」と語っていると言い、私たちを非難していますが、そのような人々にこそ正しい裁きが下るのです。
 9 では何と言いましょうか。私たち(ユダヤ人)は他の人々より優れているのでしょうか。全くそうではありません。私たちはすでに、ユダヤ人もギリシア人も、すべての人が罪の支配下にあると指摘しました。
10 こう書いてあるとおりです。
 「義人はいない。一人もいない。
11  悟りのある者はいない。
   神を求める者はいない。
12  すべての者は迷い出てしまい、
   共に役立たずになってしまった。
   善を行う者はいない。一人もいない。
13  彼らの喉は開いたままの墓、
   その舌で人を欺いてきた。
   唇の下にはコブラの毒、
14  口はのろいと苦さで満ちている。
15  足は血を流すのに素早く、
16  廃墟と悲惨が彼らの道にある。
17  彼らは平和の道を知らない。
18  目の前には神への恐れがない。」
 19 さて私たちは、律法の言うことがすべて、律法の支配下にいる人々に対して語られていると知っています。それはすべての口が黙らされ、全世界が神に対して有罪判決を受けるためです。
20 なぜなら、律法の行いによっては、神の前に義と認められる人が一人もいないからです。律法によっては、罪についての十分な知識が与えられるだけです。
 21 しかし、今や、律法(の原則)とは無関係に、しかも律法と預言者たちによって証されて、神の義(の御わざ)が明らかにされました。
22 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰を通して、信じるすべての人を義とする神の義(の御わざ)です。
23 なぜなら(ユダヤ人と異邦人との)区別なく、すべての人が罪を犯したために、神からの称賛を受ける資格を失っているからです。
24 しかし、すべての人が神の恵みのゆえに、キリスト・イエスによる贖いを通して、無償で義と認められるのです。
25 神は、この方を、その血を信じる信仰を通して(有効とされる)なだめの供え物として公に示し、ご自分の義を明らかに示されました。なぜなら、それ以前に犯された罪過を見逃してこられたからです。
26 それは神の深い憐れみのゆえです。神は今この時に、ご自分の義を明らかに示され、こうしてイエスへの信仰に基づく者を義としつつ、ご自身も義なる方なのです。
 27 それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それは取り除かれました。どのような原則によってでしょうか。行いの原則によってでしょうか。いいえ、信仰の原則によってです。
28 私たちはこう結論します。人は律法の行いとは無関係に、信仰によって義と認められるのだと。
29 それとも神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人にとっても神ではありませんか。確かに、異邦人にとっても神です。
30 神が唯一である以上、そうです。この神は、割礼のある人を信仰に基づいて義と認め、割礼のない人をも信仰に基づいて義と認めてくださいます。
31 では、私たちは信仰によって律法(の役目)を無効にしてしまうのでしょうか。とんでもないことです。かえって、律法(の役目)を確立するのです。

第4章

 1 では何と言いましょうか。肉による私たちの先祖アブラハムはどう理解していたでしょうか。
2 もしアブラハムが行いに基づいて義と認められたのなら、彼は誇ることができますが、神に対してはできません。
3 なぜなら、聖書がこう語っているからです。
  「それでアブラハムは神を信じた。
   それは彼の義認に至るものと認められた。」
4 働く者にとって、報酬は恵みとは見なされず、当然受け取る権利のあるものと見なされます。
5 しかし、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じる人は、働きのない人であっても、その信仰のゆえに義と認められるのです。
6 ダビデもまた、行いなしに、神によって義と認められている人の幸いを、こう語っています。
7 「何と幸いなのだろう
   無法な行いを赦され、罪を覆われた者たちは。
8  何と幸いなのだろう
   主が決して罪を勘定されない者は。」
 9 それでは、この幸いは、割礼のある人の上にだけあるのでしょうか。それとも無割礼の人の上にもあるのでしょうか。私たちは言います。「アブラハムの信仰が、義認に至るものと認められた」と。
10 ではどのようにして、そう認められたのでしょうか。割礼の状態においてでしょうか。あるいは無割礼の状態においてでしょうか。それは、割礼の状態の時ではなく、無割礼の状態の時にです。
11 アブラハムは、無割礼の状態で持った信仰によって義と認められ、その証印として、割礼というしるしを受けました。こうして彼は、無割礼の状態で信仰を持つすべての人〈異邦人信者〉の父となり、無割礼の人でも義と認められるのです。
12 また、単に割礼を受けているだけでなく、私たちの先祖アブラハムが無割礼の状態で歩んだ、あの信仰の足跡に従って歩む人〈ユダヤ人信者〉にとって、割礼のある人の父でもあるのです。
 13 なぜなら、アブラハムが世界の相続人になるという、アブラハムとその子孫に対するこの約束は、律法によってではなく、信仰による義によって実現するからです。
14 なぜなら、もし律法に基づいて生きる者が相続人となるなら、(アブラハムの)信仰は無価値になってしまい、(アブラハムへの)約束も無効になってしまうからです。
15 それは、律法が怒りをもたらすものだからです。律法がないところには違反もありません。
16 それゆえ、恵みによる以上、信仰(の原理)に基づいています。それは、この約束がアブラハムのすべての子孫に、すなわち律法に属する子孫に対してだけでなく、アブラハムの信仰に属する子孫に対しても確実なものとなるためです。
17 「私はあなたを多くの民族の父に任命した」と書かれているとおり、アブラハムは、死人を生かし、まだ存在していない者をすでに存在しているかのように呼ばれる神を信じ、実に、この方の前で、私たちすべての父となったのです。
18 彼は、望み得ないときになお望みを抱いて神を信じました。それで彼は「あなたの子孫はこのようになる」と語られた約束のとおり、多くの民族の父となりました。
19 実に彼は、およそ百歳であるので、自分の体がすでに死んでいることを認め、サラの胎が死んだ状態であることも認めましたが、信仰において弱らず、
20 神の約束のゆえに、不信仰によって動揺させられませんでした。それどころか信仰が強められ、その結果、神に栄光を帰しました。
21 そして、神は約束してくださったことを成就することができると、十分に確信していました。それゆえ、彼はその信仰によって義と認められたのです。
23 しかし「彼が義と認められた」と書かれたのは、彼のためだけでなく、
24 私たちのためでもあります。義と認められるべき人々、すなわち、私たちの主イエスを死者たちの中からよみがえらせた方を信じる人々のためでもあるのです。
25 主イエスは私たちの罪過のために死に引き渡され、私たちの義認のために復活させられました。

第5章

 1 ですから、私たちは信仰に基づいて義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神に対して平和を持っています。
2 また私たちは、この方によって、恵みの中に入る特権を信仰によって獲得し、今その恵みの中に立っていて、神の栄光にあずかる望みのゆえに大いに喜んでいるのです。
3 そればかりか、私たちは患難の中にあっても喜んでいます。それは、患難が働いて忍耐を生み、
4 忍耐が働いて良い品性を生み、この良い品性から希望が生まれると知っているからです。
5 この希望は(私たちを)失望させません。というのも、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に溢れるばかりに注ぎ込まれているからです。
 6 なぜなら、キリストは、私たちが全く無力であるのに、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださったからです。
7 事実、正しい人のためにでも、死ぬ人はまずいません。ただし、良くしてくれた人のためなら、死のうとする人がいるかもしれません。
8 しかし、私たちがまだ罪深い者であった時に、キリストは私たちのために死んでくださいました。そのことによって、神は私たちに対するご自身の愛を証明しておられます。
9 ですから、今すでにキリストの血によって義とされている私たちが、この方によって神のあの怒りから救われるのは、なおさら当然のことです。
10 なぜなら、私たちは敵であったのに、神はご自分の御子の死によって、私たちをご自分と和解させてくださったのですから、和解させられた私たちが、キリストのいのちによって救われるのは当然だからです。
11 そればかりでなく、私たちはさらに、今やこの和解を得させてくださった私たちの主イエス・キリストによって、神を大いに喜んでもいるのです。
 12 このように、ひとりの人を通して罪が世に入り、その罪を通して死が世に入り、こうして死がすべての人に及んだように――それというのも、すべての人が罪を犯したためですが――
13 もちろん、律法が来る前から罪はすでに世にありました。しかし律法がなければ、罪は罪として認められません。
14 ところが、死はアダムからモーセまでの間も(王のように)人々を支配しました。それも、アダムが犯した違反と同じ形で罪を犯さなかった人々をさえ支配したのです。アダムは来たるべき方のひな型です。
15 ただし、(アダムの)違反と(キリストの)恵みとでは(結果が)異なります。一人の違反によって多くの人が死んだのですから、神の恵み、すなわち一人の人イエス・キリストの恵みの賜物〔永遠のいのち〕は、なおのこと多くの人々に満ち溢れたのです。
16 さらに、この恵みの賜物は、罪を犯した一人の人を通して来たものとは異なります。なぜなら、裁きの場合、一つの違反から有罪宣告に至りましたが、他方、恵みの場合、多くの違反から義認宣告に至ったからです。
17 なぜなら、一人の人の犯した違反のゆえに、死が一人の人を通して王のように支配したのですから、なおのこと、恵みの豊かさと義認の賜物とを受けている人々は、一人の人イエス・キリストを通して、(新しい)いのちにあって、王のように生き続けることになるからです。
 18 こういうわけで、ちょうど一つの違反によって、すべての人が有罪宣告に至ったように、そのようにまた、一つの義の行為によって、すべての人がいのちを義とされる〔義なるいのちを持つ〕という結果に至りました。
19 すなわち、ちょうど一人の人の不従順によって多くの人が罪深い者にされたように、一人の人の従順によって多くの人が正しい者にされるのです。
20 律法が入り込んだ結果、違反が増し加わりました。しかし、罪が増し加わったために、恵みもいっそう満ち溢れました。
21 罪は死を通して君臨しました。しかし、恵みが義によって君臨し、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠のいのちに至らせます。

第6章

 1 ではどうなのでしょうか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまり続けるべきでしょうか。
2 とんでもないことです。私たちは罪に対して死んでしまっているのです。そのような私たちが、どうして、なおもその中に生き続けることができるでしょうか。
3 それとも、あなた方は知らないのですか。キリスト・イエスにバプテスマされた人は皆、キリストの死にバプテスマされたことを。
4 すなわち私たちは、キリストの死へのバプテスマ〔水のバプテスマ〕によって(表されているように)、キリストと共に葬られたのです。その結果、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえらされて(生きて)おられるように、私たちも、新しいいのちによって歩む者になっているのです。
5 なぜなら、私たちはキリストの死の似姿〔バプテスマの際に水に入ること〕によって、キリストに結ばれているのですから、確かにキリストの復活の似姿〔バプテスマの際に水から出ること〕によっても、キリストに結ばれて生きるからです。
6 というのは、このことを知っているからです。すなわち、私たちの古い人は十字架に付けられたので、その結果、罪の体は支配者の座から降ろされていて、私たちはもはや罪に奴隷とされ続けません。
7 なぜなら、死んでしまった者は、罪から義とされているからです。
8 それで、私たちはキリストと共に死んだ以上、キリストと共にいつまでも生き続けると信じます。
9 それは、キリストが死者の中からよみがえらされて、もはや死なれることがなく、死はもはやキリストを支配しないと知っているからです。
10 なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度だけ罪に対して死なれ、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるからです。
11 ですから、あなた方も、事実、自分が罪に対して死んでいるのであり、キリスト・イエスにあって神に対して生きていると、認め続けなさい。
 12 ですから、あなた方の死ぬべきからだを罪に支配させ続けて、その情欲に服従し続けていてはいけません。
13 また、あなた方の手足を不義の武器として、罪のために差し出し続けてもいけません。むしろ、死者の中からよみがえらされて生きている者らしく、あなた方自身を神のために差し出し、あなた方の手足を義の武器として神にささげてしまいなさい。
14 そうすれば、罪があなた方を支配することはないからです。なぜなら、あなた方は律法の下にではなく、恵みの下にあるからです。
 15 ではどうなのでしょうか。律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから(たまには)罪を犯してもよいのでしょうか。とんでもないことです。
16 このことを知らないのですか。あなた方が自分自身を誰かにささげて、それに服従しているなら、自分が服従している相手の奴隷です。罪の奴隷となって死に至るか、それとも従順の奴隷となって義に至るかのどちらかです。
 17 しかし神に感謝します。なぜなら、あなた方は以前、罪の奴隷でしたが、あなた方が引き渡されたその教えの型〔バプテスマの語る真理〕に心から服従したからです。
18 罪から解放されたあなた方は、義の奴隷とされました。
19 あなた方にある肉の弱さのゆえに、私は人間的に説明します。あなた方は自分の手足を汚れと無法に奴隷としてささげ、無法に至っていました。しかし今からは、あなた方の手足を奴隷として義にささげ、聖潔に至りなさい。
 20 実に、あなた方が罪の奴隷であったとき、あなた方は義に縛られずに生きていました。
21 その時あなた方は、今となっては恥じていることから、どのような実を得ましたか。それらの結末は死です。
22 しかし今、あなた方は罪から解放され、神の奴隷とされ、聖潔に至る実を得ています。そして、その結末は永遠のいのちです。
23 罪からの報酬は死です。しかし、神からの賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

第7章

 1 それとも兄弟たち――私は律法を知っている人々に語っています――律法が人を支配するのは、その人が生きている間だけだということを、あなた方は知らないのですか。
2 ですから、結婚している女性は、夫が生きている間、律法によって夫に縛られますが、夫が死ねば、夫に関する律法から完全に解放されます。
3 それで、夫が生きている間に他の男のものになるなら、姦淫の女と呼ばれることになりますが、夫が死ねば(婚姻の)律法から解放されているので、他の男のものになったとしても、姦淫の女にはなりません。
4 私の兄弟たちよ。それと同じように、あなた方もキリストの体を通して、律法に対して死んだ者とされたのです。その結果、今や、あなた方は他の人、すなわち死者たちの中からよみがえらされた方のものとされ、神のために実を結ぶ者となったのです。
5 なぜなら、私たちが肉の支配の中にあった時は、律法によって力付けられた数々の罪深い情欲が、私たちの体の中で力強く働いて、死のために実を結んでいましたが、
6 今や私たちは、私たちを縛っていた律法に対して死んだので、律法から解放されて、その結果、文字という古いものによってではなく、御霊(の力)という新しいものによって、神に仕えているからです。
 7 では何と言いましょうか。律法が罪なのでしょうか。とんでもないことです。それどころか、律法によらなければ、私は罪が何であるかを知らなかったでしょう。なぜなら、もし律法が「貪るな」と言わなかったなら、私は貪り(の恐るべき力)を知らなかったからです。
8 しかし、罪はこの戒めによって機会を捕らえて、私の中にあらゆる貪りを引き起こしました。なぜなら、律法がなければ罪は死んでいるからです。
9 私はかつて律法なしに生きていたのですが、戒めが来た時、罪が再び生き、
10 私は死んだのです。それで私は、いのちに導くはずのこの戒めが、実は死に至らせるものであると判りました。
11 なぜなら、罪はこの戒めによって機会を捕らえることで私を騙し、戒めによって私の力を奪ったからです。
 12 とは言え、律法は聖であり、戒めも聖であり、正しく、また良いものです。
13 では、この良いものが、私にとっては死の力となったのでしょうか。とんでもないことです。そうではなく、この良いものによって私に死の力を働かせているのは、実に罪なのです。こうして罪が何であるかが明らかになりました。すなわち、戒めによって、罪は極度に罪深いものとなったのです。
 14 なぜなら、私たちも知っているように、律法は霊的なものだからです。しかし、この私が肉的であり、罪の下に(奴隷として)売られてしまっているのです。
15 本当に、私は自分のしていることが分かりません。なぜなら、自分が欲していることを行わず、かえって自分が憎んでいることを行っているからです。
16 しかし、私が自分の欲していないことを行っているということは、律法が正しいことに同意していることになります。
17 それで今や明らかです。それを行っているのは、もはや私ではなく、むしろ私の内に住んでいる罪なのです。
18 なぜなら、私の内に、すなわち私の肉の内に、善が住んでいないことを知っているからです。なぜなら、私に善を行いたい意志はあっても、善を行うことがないからです。
19 実に、私は自分が欲している善を行っていないどころか、その反対に、欲していない悪を行っているのです。
20 それで、私は自分が欲していないことを行っているのですから、それを行っているのは、もはや私ではなく、私の内に宿っている罪です。
 21 こうして分かったことは、善を行うことを欲している私の内に、悪を行う法則が存在しているということです。
22 なぜなら、私の内なる人としては、この神の律法に喜んで同意していますが、
23 私の五体の中には、私の心の法則に対して戦いを挑み、私の五体にある罪の法則によって私を虜にし続ける、もう一つ別の法則があると知っているからです。
24 ああ、私はなんと哀れな人間でしょうか。誰が私を、この死の体から救い出し続けてくれるでしょうか。
25 神に感謝します。それは、私たちの主イエス・キリストによってです。
 そのようなわけで、この私について言うと、心は神の法則に服従していますが、肉は罪の法則に服従しているのです。

第8章

 1 それで今や、キリスト・イエスにある者たちに対しては、有罪の判決は全くありません。
2 なぜなら、いのちを与える御霊の法則が、罪の法則と死の法則から、あなたをキリスト・イエスにあって(決定的に)解放したからです。
3 なぜなら、肉のゆえに律法が無力なため、律法にできなかったことを、神が達成されたからです。神はご自身の御子を、罪の体に似た形で罪のためのいけにえとして遣わし、御子の体において罪を処罰されました。
4 その結果、肉に従う者ではなく、御霊に従って歩む者とされた私たちに、律法の求める義が(決定的に)達成されたのです。
5 なぜなら、肉に従う者たちは肉に関することを思い続けますが、御霊に従う者たちは御霊に関することを思い続けるからです。
 6 なぜなら、肉が思うことは死ですが、御霊が思うことはいのちと平安だからです。
7 というのも、肉の思うことは神に敵対することだからです。なぜなら、肉は神の律法に服従しないからであり、服従できないからです。
8 それで、肉にある者たちは、神を喜ばせることができません。
9 しかしあなた方は、神の御霊があなた方の中に住んでおられる以上、肉の支配の中ではなく、御霊の支配の中にいます。誰でもキリストの御霊を持っていないなら、その人はキリストに属してはいません。
10 けれども、キリストがあなた方の中におられる以上、体は罪のゆえに死んでいても〔無力であっても〕、御霊が義認の御わざのゆえにいのち(の力)となっておられます。
11 そして、イエスを死者たちの中からよみがえらせた方の御霊が、あなた方の中に住んでおられる以上、キリストを死者たちの中からよみがえらせた方は、あなた方の中に住んでおられるご自分の御霊によって、あなた方の死ぬべき体をも、必ず生かし続けてくださいます。
 12 それで兄弟たちよ。私たちは責任を負っていますが、肉に支配されて生き続けなければならないような義務を、肉に負っているのではありません。
13 なぜなら、もしあなた方が、今も肉の力で生きているのなら、やがて確実に死にますが、もし体の活動を御霊の力によって殺しているのなら、いつまでも生き続けるからです。
14 なぜなら、神の御霊によって導かれている人々こそ、皆、神の子どもだからです。
15 なぜなら、あなた方は、再びあなた方を奴隷にして、恐怖を与える御霊を受けたのではなく、むしろ、あなた方を子としてくださる御霊を受けたからです。その御霊によって、「アバよ。父よ」と叫んでいます。
16 この御霊ご自身、私たちの霊と共に、私たちが神の子どもであることを証言しておられます。
17 子どもである以上、相続人でもあります。私たちがキリストと共に栄光を受けるためにキリストと共に苦しんでいる以上、神の相続人であり、キリストとの共同相続人です。
 18 それゆえ私はこう結論します。今の時の色々の苦しみは、私たちにやがて明らかにされる栄光とは、比べる価値さえないと。
19 なぜなら、被造物は切に期待しながら、神の子どもたちの現れを待ち望んでいるからです。
20 なぜなら、被造物は虚無に服していますが、それは自らの意志ではなく、服従させた方の意志によって服従しているので、
21 被造物自身も、やがて腐敗の奴隷状態から解放されて、神の子どもたちの栄光ある自由へと入れられる望みを抱いているからです。
22 なぜなら、私たちが知っているように、全被造物がこの時に至るまで共にうめき、共に産みの苦しみをしているからです。
23 そして、被造物だけでなく私たち自身も、御霊という手付金をいただいているので、子とされること、すなわち私たちの体が贖われることを切望しながら、心の中でうめいているのです。
24 実に、この望みによって、私たちは救われたのです。しかし、目に見える望みは望みではありません。誰でも目に見えるものをどうしてなお望むでしょうか。
25 しかし、私たちは目で見ていないものを望んでいるので、忍耐深く、熱心に待っているのです。
 26 それと同時に、御霊も弱い私たちを助け続けておられます。私たちが何を祈るべきかさえ分からないときも、うめくような祈りの言葉によっても、御霊ご自身がとりなしてくださいます。
27 私たちの心を探るこの方は、(私たちの)霊の思いが何であるかを知っておられて、神の御心に従って、聖徒たちのためにとりなしをしておられるのです。
28 しかし、このことは分かっています。(御霊は)神を愛する人々と共に働いて、すべてのことを、神の目的に従って召された人々の益となるように動かしておられるのです。
29 なぜなら、あらかじめ選ばれた人々を、ご自身の御子の姿に似るようにと、あらかじめお定めになったからです。それは御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
30 そして、神はあらかじめ定めた人々を召してくださいました。召された人々を義と認めてくださいました。そして、義と認めた人々を、栄光にあずかる者としてくださったのです。
 31 では、これらのことについて何と言いましょうか。神が私たちの味方であるからには、誰が私たちに敵対できるでしょうか。
32 ご自分の御子を惜しまず、むしろ、私たちすべてのために、御子を死に渡されたほどの神が、どうして御子と共にすべてのものを、私たちに賜らないことがあるでしょうか。
33 神に選ばれた者たちを責めようとするのは、いったい誰ですか。神が義と認めておられるのです。
34 罪に定めようとするのは、いったい誰ですか。キリスト・イエスは(一度)死んで、さらに、よみがえらされた方です。実に、この方が神の右に座し、私たちのためにとりなしをし続けておられるのです。
35 キリストの愛から私たちを引き離そうとするのは、いったい誰ですか。苦難、困窮、迫害、飢え、裸、危険、それとも剣ですか。
36 こう書いてあるとおりです。
  「あなたのために
   私たちは休みなく殺され
   屠られる羊と見なされています。」
37 しかし、このような中にあっても、私たちを愛してくださった方を通して、私たちは圧倒的に勝利しているのです。
38 それゆえ、私はこう確信しています。死も、命も、御使いも、権威も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
39 高さも、深さも、いかなる被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことは、断じてできないと。

第9章

 1 私はキリストにあって真実を語り、偽りを言いません。私の良心もまた、聖霊によって証言します。
2 私には大きな悲しみがあり、私の心に絶え間のない痛みがあります。
3 なぜなら、私の兄弟たち、肉による私の同胞のためなら、この私がキリストから捨てられて、呪われた者となることさえ願うほどだからです。
4 彼らはイスラエル人です。子とされること、栄光、契約、律法、礼拝、約束、すべて彼らのものです。
5 族長たちも彼らのものであり、キリストも肉によれば彼らからお生まれになりました。この方こそ、万物の上におられ、永遠に誉めたたえられるべき神です。アーメン。
 6 しかし、神の約束が無効になったわけでは決してありません。なぜなら、イスラエルの子孫だからといって、皆がイスラエル人ではなく、
7 アブラハムの子孫だからといって、皆がアブラハムの子どもではないからです。むしろ「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれる」のです。
8 つまり、肉の子どもが神の子どもなのではなく、約束の子どもが子孫として認められるということです。
9 約束のみことばはこう語っています。
  「この季節に私は必ず来ます。
   サラには男の子が必ずいます。」
10 それだけでなく、私たちの父イサク一人によって身ごもったリベカの場合もそうです。
11~12 なぜなら、子どもたちがまだ生まれてもおらず、善も悪も何も行わないのに「兄は弟に仕える」と彼女に告げられたからです。それは、選びによる神のご計画が、人間の働きによらず、神の召しによって確立するためです。
13 こう書いてあるとおりです。
  「私はヤコブを愛し、エサウを憎んだ。」
14 では何と言いましょうか。神の側に不正があるのでしょうか。とんでもないことです。
15 なぜなら、神はモーセにこう語っておられるからです。
  「私が憐れもうと思う者を憐れみ、
   私が慈しもうと思う者を慈しむ。」
16 そういうわけで、求める者、努力する者の意欲とは関係なく、憐れんでくださる神次第なのです。
17 それで、聖書はパロに対してこう語っています。
  「私がお前を立てたのは、
   お前によって私の力を示すためであり、
   私の名を全地に告げ知らせるためである。」
18 このように、神はご自身で憐れみを示そうと決めた者には憐れみを示し、頑なにしようと決めた者は頑なにされるのです。
 19 すると、あなたは私にこう言うでしょう。「神はなぜ人を責めるのか。神の決定には誰も逆らえないではないか。」
20 ああ人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何者か。陶器が陶器師に向かって「なぜ私をこのように作ったのか」と言えるでしょうか。
21 それとも陶器師は同じ粘土の固まりから、高貴な器でも、卑しいことに用いる器でも、作る権利を持っていないでしょうか。
22 しかし、もし神が怒りを現してご自身の力を示そうと望まれたのに、自ら滅びを招いた怒りの器に対して、その裁きを大いなる忍耐によって引き延ばしてくださったとすれば、どうでしょうか。
23 しかも、神が栄光を現すために前もって備えておられた憐れみの器に対して、ご自分の豊かな栄光を知らせてくださったとすれば、どうでしょうか。
24 ――神は私たちをも、この憐れみの器として、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださいました――
25 実に、それは、ホセア書で語っておられるとおりです。
  「私の民でない者を、私の民と呼び、
   愛されない者を、愛されている者と呼ぼう。」
26「『お前たちは私の民ではない』と、
   私が人々に語ったその場所で、その人々が、
  『生ける神の子どもたちだ』と呼ばれるようになる。」
27 イザヤもイスラエルのためにこう叫んでいます。
  「たとえイスラエルの民の数が
   海の砂の数のように多くとも、
   残された者が救われる。
28  主は地上に約束をすべて成就し、
   速やかに実現しようとしておられる。」
29 また、イザヤは前からこう語っています。
  「もし万軍の主が、私たちに
   子孫を残してくださらなかったなら、
   私たちもソドムのようになり、
   ゴモラと同じようになっていたはず。」
 30 では何と言いましょうか。義を追い求めなかった異邦人が義を得ました。彼らは信仰に基づいて義を得たのです。
31 しかし、義の律法を追い求めていたイスラエルは律法(の目的)に達しませんでした。
32 どうしてでしょうか。それは信仰に基づいてではなく、行いに基づくかのように義を求めたからです。彼らはつまずきの石を蹴って倒れたのです。
33 それは、こう書いてあるとおりです。
  「見よ。私はシオンにつまずきの石、
   障害の岩を置いている。
   しかし、それに信頼する者が
   辱められることは決してない。」

第10章

 1 兄弟たちよ。私が彼らのために心から願い、神に祈っているのは、彼らが救われることです。
2 なぜなら、私は彼らのために証ししますが、彼らは神に対して熱心ですが、それは正しい知識に基づいていないからです。
3 なぜなら、彼らはこの神からの義を知らずに、自分自身の義を立てることを求め続け、神の義に服従しなかったからです。
4 なぜなら、キリストが律法(の役目)を完全に終わらせ、信じるすべての者を義としてくださるからです。
 5 それゆえ、モーセは、律法に基づく義についてこう書いています。
  「人がそれら〔戒律〕を行うなら、
   それらによって生きる。」
6 しかし、信仰に基づく義はこう語ります。
  「あなたは心の中で言ってはならない。
   誰が天にまで上るだろうかと。」
 ――つまり、キリストを引き下ろすために(天に上る必要はない)ということです――
7 あるいは、
  「誰がよみにまで下るだろうかと。」
 ――つまり、キリストを死者の中から引き上げるために(よみに下る必要はない)ということです――
8 では、聖書は何と語っているでしょうか。
  「みことばはあなたの近くにある。
   あなたの口にあり、あなたの心にある。」
 ――つまり、私たちが宣べ伝えている信仰のことばのことです――
9 すなわち、もしあなたの口でイエスを主として告白し、あなたの心で、神が彼を死者たちの中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるのです。
10 実に、人は心で信じて義認に至り、口で告白して救いに至るのです。
11 なぜなら、聖書は「彼を信じる者はすべて、辱められることが決してない」と語っているからです。
12 なぜなら、ユダヤ人とギリシア人との差別はないからであり、キリストはすべての人の主であり、主を呼び求めているすべての人に対して、恵み豊かであられるからです。
13 なぜなら「主の御名を呼び求める者は、みな救われる」からです。
 14 しかし(こう反論する人もいるでしょう)、人はどのようにして、信じたことのない方を呼び求めるだろうか。また、人はどのようにして、聞いたことのない方を信じるだろうか。また、人はどのようにして、宣べ伝えられることなしに聞けるだろうか。
15 また、遣わされることなしに、どのようにして宣べ伝えることができるだろうか。こう書かれているとおりではないか。
  「良きおとずれを宣べ伝えている者の足は、
   何と折りよく〔タイムリーに〕来ることか。」
 16 しかし(私は答えます)、(福音を聞いた)すべての人が福音に従ったわけではありません。なぜなら、イザヤがこう語っているからです。
  「主よ。私たちの聞いたことを、
   誰が信じたでしょうか。」
17 ですから(あなたの言うとおり)信仰は聞くことの結果であり、その「聞くこと」とは、キリストについてのみことばを聞くことによります。
 18 しかし、私は尋ねます。彼らは聞いたことがなかったのですか。いいえ、それどころか(こう書かれています)。
  「地のすべての所に向けて
   彼らの声は出て行った。
   国の隅々に至るまで
   彼らのことばは出て行った。」
19 さらに、私は尋ねます。イスラエルは本当に知らなかったのですか。まずモーセはこう言っています。
  「私は、わが民でない者たちによって
   あなた方のねたみを引き起こそう。
   無知な民によって、あなた方を怒らせよう。」
20 イザヤは大胆にもこう語っています。
  「私は私を探していない者たちによって見出され
   私を尋ねない者たちに私自身を明らかにした。」
21 けれども、イスラエルに対しては、こう語っています。
  「一日中、私の手を伸ばしていた。
   不従順で反抗する民に向けて。」

〔6~7節の別訳〕
 6 しかし、信仰に基づく義はこう語ります。
  「あなたは心の中で言ってはならない。
   誰が天にまで上るだろうかと。」
  ――つまり、キリストを引き下ろすために(天に上らなくてもよいという事)です――
 7 あるいは、
  「誰がよみに下るだろうかと。」
  ――つまり、キリストを死者の中から引き上げるために(よみに下らなくてもよいという事)です――

第11章

 1 それでは尋ねますが、神はご自分の民を拒絶してしまったのでしょうか。とんでもないことです。なぜなら、この私もイスラエル人であり、アブラハムの子孫、ベニヤミン部族の出だからです。
2 神が、あらかじめ選んだご自分の民を捨てられたことはありません。それともあなた方は、聖書がエリヤの箇所で何と語っているか、知らないのですか。彼はイスラエルを神に、こう訴え出ました。
3 「主よ。彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇をくつがえし、私がただ一人残されました。さらに彼らは私のいのちを求めています。」
4 しかし、エリヤに対する神の答えは何だったでしょうか。「私は私自身のために、バアルにひざまずかなかった男たち七千人を残しておいた。」
5 ですから、今の時も同じように、恵みによって選ばれた者たちが残されています。
6 恵みによる以上、もはや行いによるのではありません。そうでなければ、その恵みは、もはや恵みではなくなります。
7 ではどうなのでしょうか。イスラエルは追求していたものを獲得しませんでした。選ばれた者たちは獲得しましたが、その他の者たちは心が頑なにされました。
8 こう書かれているとおりです。
  「神は彼らに深い眠りの霊、見えない目、
   聞こえない耳を与えられた。今日に至るまで。」
9 ダビデもこう語っています。
  「彼らの食卓は、彼らにとって、
   罠、網、つまずき、報復となれ。
10   彼らの目は暗くされ、見えなくなれ。
   彼らの背も曲がり切ってしまえ。」
 11 では、私は尋ねます。彼らはつまずいて、もう起き上がれないのでしょうか。とんでもないことです。むしろ、彼らの違反によって、救いが異邦人たちに及びました。それは彼らのねたみを引き起こすためでした。
12 しかし、彼らの違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となったのなら、彼らの(救いの)成就はどれほどの富となることでしょうか。
 13 そこで、私は異邦人であるあなた方に言います。私自身が異邦人のための使徒であるので、私はなおのこと、自分のこの務めを光栄に思っています。
14 私は、どうにかして私の同胞を奮起させて、彼らの中から幾人かでも救いたいのです。
15 なぜなら、彼らの捨てられたことが(異邦人)世界の(神への)和解となったのですから、まして彼らの受け入れられることは、死者の中からの復活以外の何ものでもないからです。
16 初穂が聖いなら、その粉のかたまりも聖く、木の根が聖いなら、その枝も聖いのです。
 17 しかし、たとえその枝のいくらかが切り落とされて、野生のオリーブであるあなたが枝の間に接ぎ木され、オリーブの根から養分を共に吸収するようになっても、
18 あなたは、その枝に対して誇ってはなりません。たとえ誇っても、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。
19 それでもあなたは「枝が切り落とされたのは、この私が接ぎ木されるためだ」と言うかも知れません。
20 そのとおり。彼らは不信仰のゆえに切り落とされ、あなたは信仰によって立っています。高慢になっていてはいけません。むしろ恐れていなさい。
21 なぜなら、神は自然に生えた枝を惜しまなかったのですから、あなたをも惜しまれないはずだからです。
22 ですから、神の慈愛と厳しさに目を留めなさい。倒れた者の上にあるのは厳しさですが、あなたの上には慈愛があります。ただし、神の慈愛に留まっていることが条件であって、そうでなければあなたも切り落とされます。
23 しかし、もし彼らも不信仰に留まり続けなければ(必ず)接ぎ木されます。なぜなら、神には彼らを再び接ぎ木することができるからです。
24 なぜなら、あなたが、自然のままの野生のオリーブの木から切り取られ、栽培されたオリーブの木に、自然に反して接ぎ木されたのですから、なおのこと本来の枝である彼らは、はるかに容易に元の木に接ぎ木されるからです。
 25 ですから兄弟たちよ。あなた方がうぬぼれたりしないために、この奥義について無知でいてほしくありません。すなわち、イスラエルの一部が頑なになっているのは、異邦人の(ためのご計画の)成就が到来するまでであり、
26 こうして、すべてのイスラエルは必ず救われる、ということです。ですから、こう書かれています。
  「シオンから救う者が来る。
   彼はヤコブから不敬虔を取り去る。
27   これは彼らと結ぶ私の契約である。
   その時、私は彼らの罪を取り除く。」
28 彼らは、福音によれば、あなた方のゆえに神に敵対していますが、選びによれば、先祖たちのゆえに、神に愛されています。
29 なぜなら、神の恵みの賜物と召しに変更はないからです。
30 なぜなら、あなた方が以前は神に不従順でしたが、今は彼らの不従順のゆえに憐れみを受けているように、
31 彼らも、今はあなた方が憐れみを受けるために不従順ですが、やがて憐れみを受けることになるからです。
32 実に、神はすべての人を不従順の中に閉じ込めましたが、それはすべての人を憐れむためでした。
 33 ああ、神の知恵と知識の富は何と深いことでしょう。神のご判断は何と知り尽くし難く、神の道は何と測り知り難いことでしょう。
34 「誰が主の心を熟知し得たでしょうか。
   誰が神の相談役になり得たでしょうか。
35   誰が神に前もって与え、その報酬を受けることができるでしょうか。
36   万物は、神から発し、神によって成り、神のためにあるからです。
   この神に栄光が永遠から永遠にわたってありますように。アーメン。

第12章

 1 ですから兄弟たちよ、神の憐れみによってあなた方にお願いします。あなた方の体を、神に喜んでいただける、聖なる生きたささげ物として神にささげなさい。それこそあなた方の思慮ある礼拝です。
2 この時代の形と同じにされるのを許していてはなりません。むしろ考え方を全く新たにすることで、内側から姿を変えていただき続けなさい。そうすることで、神の御心がどのようであるか、すなわち神の御心こそ善であり、喜ばしく、完全であることを実証し続けるためです。
 3 なぜなら、私に与えられたこの恵みによって、あなた方のところにいるすべての人に言いますが、思うべき限度を超えて思い上がるべきではなく、むしろ、一人ひとりに神から信仰の限度が割り当てられているのですから、思慮深さを示すよう心掛けるべきだからです。
4 なぜなら、ちょうど私たちの一つの体に多くの部分があっても、すべての部分が同じ働きを行っていないように、
5 私たちも大勢ですが、キリストにあって一体であり、各々が互いにその部分だからです。
6 私たちに与えられた恵みに従って、各種の賜物が与えられているのですから、預言(の賜物)であれば信仰の割合に従って(預言し)、
7 奉仕の働きであれば(与えられた)奉仕の力の範囲で、教える者であれば(与えられた)教える力の範囲で、
8 励ます者であれば(与えられた)励ましの力の範囲で行いなさい。分け与える者は惜しみなく、指導する者は熱心に、施しをする者は喜んで行いなさい。
 9 愛は偽りがないように。悪は忌み嫌い続け、善には執着し続けなさい。
10 兄弟愛に関しては互いに暖かい愛で、尊敬に関しては互いに相手を優先させ、
11 熱心さに関しては怠けずに、熱く燃える霊で主に仕え続け、
12 希望に関しては喜びつつ、苦難に関しては忍耐深く、祈りに関しては根気強く、
13 聖徒たちの必要を分かち合い、親切にする機会を探しなさい。
14 迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、呪ってはいけません。
15 喜んでいる者と共に喜び、泣いている者と共に泣きなさい。
16 互いに思いを一つにし、高ぶった思いを持たず、むしろ低い者たちと交わりなさい。自分は賢い者だなどと考えてはいけません。
17 誰に対しても、悪に対して悪で報いることをせず、すべての人の前に善を心がけなさい。
18 できることなら、自分のことに関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
19 愛する者たち、自分で復讐するのではなく、むしろ神の怒りに任せなさい。なぜなら、こう書かれているからです。
  「復讐は私がする。私が報いる」と主が言われる。
20 しかし(こうも書かれているからです。)
  「あなたの敵が飢えているなら、食べさせ
   渇いているなら、飲ませよ。
   そうすることで、彼の頭の上に
   燃える炭火を積むことになるからだ。」
21 悪に征服されてはいけません。むしろ善によって悪に勝利し続けなさい。

第13章

 1 すべての人は、上に立つ権威に自ら服従すべきです。なぜなら、神によらない権威はなく、今ある権威は神によって立てられているからです。
2 ですから、この権威に自ら反抗している人は、神の制度に逆らったのです。ですから、逆らった人たちは自分の身に必ず裁きを招くことになります。
3 事実、支配者は善を行う人にとって恐怖でなく、むしろ悪を行う人にとって恐怖なのです。ですから、権威者を恐れずに過ごしたいなら、善を行い続けなさい。そうすれば、あなたは彼から誉れを受けます。
4 なぜなら、権威者はあなたに善を行わせるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行っているなら恐れるべきです。なぜなら、彼は無駄に剣を帯びていないからです。なぜなら、彼は神のしもべであって、悪を行う者の上に怒りを下すからです。
5 それゆえ、この怒りが恐ろしいからというだけでなく、良心のためにも、自ら服従する必要があります。
6 なぜなら、あなたが税を納めるのも、まさにこのためだからです。なぜなら、彼らは神に仕える者たちであり、この務めに励んでいるからです。
7 すべての人に果たすべき義務を果たしなさい。税を納めるべき人には税を納め、関税を支払うべき人には関税を支払い、恐れるべき人を恐れ、敬うべき人を敬いなさい。
 8 誰に対してであれ、互いに愛し合うこと以外に、どんな負債も負っていてはいけません。他の人を愛している人は、律法を全うしているのです。
9 なぜなら「姦淫してはならない。殺してはならない。盗んではならない。貪ってはならない」その他にどんな戒めがあっても、この言葉、すなわち「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という言葉に要約されるからです。
10 この愛は隣人に悪を働きません。ですから愛は戒めの完成です。
 11 だから、これ〔互いに愛し合うこと〕を行ってください。あなた方はその時を知っているからです。あなた方が眠りから目を覚ますべき時はすでに来ています。今は、私たちが信じた時より、救いがもっと私たちの近くに来ているのです。
12 夜はふけ、昼が間近です。ですから、闇の働きを捨て去り、光の武具を(直ちに)身に付けましょう。
13 昼間の者として、品位ある歩みを始めましょう。宴会騒ぎや酒酔い、不品行や好色、争いやねたみで歩まず、
14 むしろ、主イエス・キリストを(直ちに)着なさい。肉的なことに心を用いて、貪るようなことになってはいけません。

第14章

 1 信仰において弱い人を受け入れてあげなさい。考え方の違いで論争してはいけません。
2 ある人は何を食べても良いと信じていますが、他方、弱い人は菜食にこだわっています。
3 食べる人は食べない人を馬鹿にするのを止めなさい。食べない人は食べる人を裁くのを止めなさい。なぜなら、神がその人を受け入れておられるからです。
4 他人のしもべを批判するあなたは何者ですか。彼が立つのも倒れるのも、その人の主によることです。それで彼は立ちます。主が彼を立たせることができるからです。
 5 ある日を他の日より大事だと判断する人もいれば、どの日も皆同じだと判断する人もいます。各々が自分の心の中で確信していなさい。
6 日を重んじている人は主のために重んじています。食べる人は主のために食べています。なぜなら、その人は神に感謝しているからです。食べない人も主のために食べないで、神に感謝しています。
7 なぜなら、私たちの中の誰一人として自分のために生きている者はなく、また誰一人として自分のために死ぬ者もないからです。
8 なぜなら、私たちが生きるなら主のために生き、死ぬなら主のために死ぬからです。ですから私たちは、生きるにしても死ぬにしても主のものです。
9 なぜなら、キリストは死んだ者と生きている者の主となるために、このために死んで、よみがえられたからです。
10 それなのに、あなたはなぜ自分の兄弟を裁くのですか。また、あなたはなぜ自分の兄弟を馬鹿にするのですか。こう言うのは、私たちが皆、神の審判の座に立たなければならないからです。
11 なぜなら、こう書かれているからです。
  「私は生きていると主が言われる。
   すべての膝は私に向かってかがみ
   すべての舌は神に向かって告白する。」
12 そういうわけで、私たちは一人ひとり、自分自身についての報告書を神に提出することになります。
 13 ですから今後、私たちは互いに裁くことのないようにしましょう。むしろ兄弟の前につまずきとなるものや、誘惑となるものを置かないと決心しなさい。
14 ――私が主イエス(の教え)によって知り、また十分に確信しているのは、それ自体で(儀式的に)汚れているものは何一つなく、ただ汚れていると考える人にとって汚れているだけだということです――
15 なぜなら、もし食物のゆえに、あなたの兄弟が悲しい思いをしているなら、あなたはもはや愛に基づいて歩んでいないからです。あなたの食物で兄弟を滅ぼしてはなりません。その兄弟のためにもキリストは死なれたのですから。
16 ですから、あなたが良いとしていることが、非難されることがないように気を付けていなさい。
17 なぜなら、神の国は飲み食いの場ではなく、聖霊による義と平和と喜びの場だからです。
18 この方針でキリストに仕える人は、神に大いに喜ばれ、人々にとっても有益な人です。
19 そういうわけで、平和をつくることや、互いを建て上げることを追求し続けましょう。
20 食物のことで神の働きを破壊していてはいけません。食物はすべて聖いのですが、食べることで人をつまずかせる人にとっては悪となるのです。
21 肉を食べず、酒も飲まず、その他、兄弟がつまずくような事をしないのは立派なことです。
22 あなたの持っている確信は、神の前で自分の心の内に保っていなさい。自分が正しいと確認していることについて、心に何の咎めもない人は幸いです。
23 しかし、心に咎めを感じながら食べるなら、罪に定められます。なぜなら(それが正しいと)確信して食べているのではないからです。どんなことでも(それが正しいと)確信していないのに行うなら、それは罪です。

第15章

 1 しかし、私たち強い者は、力の弱い人たちの弱さを担い続けるべきであって、自分自身を喜ばせているべきではありません。
2 私たち一人ひとりは、人を建て上げるために有益なことを行って、隣人を喜ばせ続けるべきです。
3 なぜなら、キリストでさえご自分を喜ばせることをせず、むしろ、こう書かれているようにされたからです。
  「あなたを非難する者たちの非難が
   私の上に降りかかった。」
4 なぜなら、昔書かれたものはすべて、私たちを教えるためにあるからです。それは、聖書が与える忍耐と励ましによって、私たちが希望を持ち続けるためです。
5 どうか忍耐と励ましの神が、キリスト・イエスにならって、互いの心に同じ思いを与えてくださいますように。
6 その結果、あなた方が心を一つにし、声を合わせ、私たちの主イエス・キリストの神であり父である方を誉め讃え続けますように。
 7 ですから(いつも)互いを受け入れ合いなさい。キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったようにです。
8 なぜなら、私は言います。キリストが神の真理のために、割礼のある者たちの奉仕者となられたからです。それは、先祖たちに与えられた約束を確証するためであり、
9 異邦人も神の憐れみのゆえに、神を誉め讃える者となるためです。こう書かれているとおりです。
  「このゆえに、私は異邦人の間にあって、
   あなたを公に告白します。
   あなたの御名に賛美をささげます。」
10 さらに、こう語られています。
  「異邦人よ。主の民と共に喜べ。」
11 さらに、
  「すべての異邦人よ、主を讃え続けよ。
   諸国の民よ、主を賛美せよ。」
12 さらに、イザヤも語っています。
  「エッサイから根が出る。
   異邦人を治めるために立ち上がる方。
   この方に異邦人は望みをかける。」
13 どうか、望みの神が、信仰の働きによって、あなた方をあらゆる喜びと平安によって満たしてくださいますように。こうして、あなた方を、聖霊の力によって望みに満ち溢れさせてくださいますように。
 14 さて、私の兄弟たちよ、この私自身、あなた方について、こう確信しています。あなた方自身、あらゆる善意に満たされていて、十分な知識に満たされ、互いに矯正し合う力を持っていると。
15 しかし、私はあなた方に、もう一度思い起こしてもらおうと、手紙のある部分でかなり大胆に書きました。それは私が、神から与えられたこの恵みのゆえに、
16 異邦人のために、キリスト・イエスに仕える者とされているからです。私は神の福音に祭司として仕えています。異邦人を、聖霊によって聖められた、喜ばしいささげ物としてささげるためです。
17 ですから私は、キリスト・イエスにあって、この神の働きを誇らしく思っているのです。
18 なぜなら私は、キリストが私を用いて、異邦人を従順にならせるために成し遂げてくださったこと以外は、あえて何も語るつもりはないからです。キリストは、言葉とわざによって、
19 しるしと奇蹟の力によって、神の御霊の力によって働かれました。こうして、私はエルサレムからイルリコの近辺に至るまで、キリストの福音を十分に宣べ伝えました。
20 このように、キリストの御名がまだ知られていない所に福音を宣べ伝えることに全力を尽くしているので、私は他人が据えた土台の上に建てず、
21 むしろ、こう書かれているとおりにしているのです。
  「彼について知らされなかった者たちが
   見るようになる。
   聞いたことがない者たちが
   悟るようになる。」
 22 こういうわけで、私はあなた方の所に行くのを何度も妨げられて来たのです。
23 しかし今、この地方には働きの場所がすでになく、数年前から、あなた方のところに行きたいという強い願望を持っているので、
24 スペインに行くことが許されたときには必ず、あなた方の所に立ち寄り、あなた方と会って、まずあなた方との交わりによって少しでも心が満たされたなら、スペインに向けてあなた方に送り出していただきたいのです。
25 しかし今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムに行こうとしています。
26 なぜなら、マケドニアとアカイアの人々が、エルサレムにいる聖徒たちの中の貧しい人々をいくらかでも喜んで援助したいと考えたからです。
27 彼らは喜んでそう願いましたが、実のところ、彼らにはそうすべき負債があるのです。なぜなら、異邦人たちは彼らから霊的な祝福にあずかったのですから、物質的な物で彼らに奉仕すべきです。
28 それで、この働きを完成させ、この果実を彼らに届け終えてから、私はあなた方の所を通って、スペインへ行くことになります。
29 あなた方の所に行く時は、キリストからの祝福で満たされて行くことになると知っています。
 30 そこで、兄弟たちよ、私たちの主イエス・キリストによって、また御霊の愛によって、あなた方にお願いします。私のために、私と共に、神への祈りに奮闘してください。
31 どうか、私がユダヤにいるあの不信仰な者たちから解放され、エルサレムのための私の奉仕が聖徒たちに喜んで受け入れられるものとなるように。
32 また、私が神の御心によってあなた方の所に喜びをもって行くことができ、あなた方と共に元気を取り戻すことができるように。
33 平和の神があなた方すべてと共にいてくださいますように。アーメン。

第16章

 1 さて、私たちの姉妹で、ケンクレアの教会の執事でもあるフィベをあなた方に推薦します。
2 あなた方は彼女を、主にある者として、聖徒にふさわしい方法で迎えてください。あなた方の助けを必要とするなら、どんなことでも彼女を助けてあげてください。それは彼女が多くの人を助け、私をも助けてくれたからです。
 3 キリスト・イエスにある私の同労者たち、プリスカとアキラによろしく。
4 彼らは私のいのちを救うために自分の首を差し出しました。彼らには、私だけでなく、異邦人の教会のすべての人が感謝しています。
5 また彼らの家にある教会にもよろしく。私の愛するエパイネトによろしく。彼はキリストのためのアジアの初穂です。
6 あなた方のために多くのことに労苦したマリアによろしく。
7 私の同族であり、共に牢に入れられたことのあるアンドロニコとユニアによろしく。彼らは使徒たちの間で名が知られ、私より先にキリストにある者となりました。
 8 主にあって私の愛するアンプリアトによろしく。
9 キリストにある私たちの同労者ウルバノと私の愛するスタキスによろしく。
10 キリストにあっての、(その練達振りが)認められているアペレによろしく。アリストブロの家の人々によろしく。
11 私の同族のヘロディオンによろしく。ナルキソの家の者で主にある人々によろしく。
12 主にあって労し続けているトリファイナとトリフォサによろしく。主にあって多くのことに苦労した愛するペルシスによろしく。
13 主にあって選ばれたルフォスと、また彼と私との母によろしく。
14 アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマスに、また彼らと共にいる兄弟たちによろしく。
15 フィロロゴとユリアとネレウスと彼の姉妹に、またオリンパと彼らと共にいるすべての聖徒たちによろしく。
16 聖なる口づけをもって互いに挨拶を交わしなさい。キリストに属するすべての教会があなた方によろしくと言っています。
 17 兄弟たちよ。分裂を引き起こし、あなた方がすでに学んだ教えとは異なる、つまずきとなるものを教える者どもに警戒し続けるよう願います。そのような者たちからいつも離れていなさい。
18 なぜなら、そのような者たちは、私たちの主キリストに仕えておらず、自分自身の腹に仕えているからです。そして上手な口調と麗しいことばで、純朴な人々の心を惑わしています。
19 しかし、あなた方の従順さは、すべての人の耳に届いています。ですから私はあなた方のゆえに喜んでいます。それで、私はあなた方が善に対しては賢く、悪に対しては純潔であってほしいのです。
20 平和の神が、あなた方の足でサタンをすみやかに踏み砕いてくださいます。私たちの主イエスの恵みがあなた方と共にあるように。
 21 私の同労者テモテがあなた方によろしくと言っています。また私の同族であるルキオとヤソンとソシパテロがあなた方によろしくと言っています。
22 主にあってこの手紙を筆記している私、テルティオ自身があなた方に挨拶を送ります。
23 私と全教会の家主ガイオがあなた方によろしくと言っています。市の会計官エラストと、その兄弟クアルトがあなた方によろしくと言っています。
24 (なし)
 25 イエス・キリストを宣べ伝える私の福音によって、すなわち奥義の啓示によって、あなた方を堅く立たせることができる方に――この奥義は世々にわたって隠されてきましたが、
26 今や明らかにされ、預言者たちの書を通して知らされたものであり、永遠の神の命令によって、すべての異邦人に信仰の従順をもたらします――
27 唯一の知恵ある神に、イエス・キリストを通して、この方に、栄光が永遠から永遠まであるように。アーメン。