2024年10月25日
ディスペンセイション主義の必須条件 Charles. C. Ryrie ディスペンセイション主義者と、そうでない者とを区別するのは何でしょうか。この体系の必須条件(絶対的に必要な部分)は何でしょうか。この質問に答えるため […]
2024年9月30日
恵みと責任 山岸登 というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。(ローマ人への手紙6章14節) このように語ったパウロは、一見矛盾するようなこと […]
2024年8月31日
ベタニヤのマリヤ 山岸登 十字架を前にした最後の週の初めの日、すなわち過越の祭りの6日前、主イエス一行は、安息日をベタニヤの外で過ごされて安息日が終わった時、すなわち私たちの太陽暦に直すと土曜日の夕刻6時過ぎ、ベタニヤの […]
2024年7月26日
快楽主義に警戒せよ 山岸登 神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思いながら、私は厳かに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさ […]
2024年6月27日
悔い改めについて 山岸登 イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなた […]
2024年5月6日
千年期前再臨主義の根拠となる聖句は黙示録20章だけか Is Revelation 20 the Only Supporting Text for Premillennialism ? マイケル・ブラック(Michael […]
2024年4月2日
クリスチャンの戦い 山岸登 1.自我(罪)に対する戦い クリスチャンとしての正常な生活を生きるためには自我(罪)に対してどのような態度をとるべきかという問題が最も重要であると言えます。しかしこの問題に入る前に、クリヤーし […]
2024年3月12日
信じるだけではいけないのか? 山岸登 このタイトルの意味は、キリストを信じている者は、救われた後、どのような歩みをしてもかまわないではないかということです。 初信者の中にはこのように考える人がかなりいます。それは福音伝道 […]
2023年8月20日
主日礼拝の聖書的根拠 前田大度 最近、インターネット上で、一部のディスペンセイション主義者たちが、主日礼拝(日曜礼拝)には聖書的な根拠がないと発言しています。彼らはこう主張します。「イスラエルと教会とは別個の存在であり、 […]
2023年6月26日
二世紀の終末論 嶌村貴 二世紀に、ローマ帝国のガリア(現在のフランス・リヨン)の教会の牧会者でエイレナイオス(130年頃~202年)というギリシャ人がいました。この人はポリュカルポス(69年頃~155年頃)から学んだ人で […]