実を結ばないものを父が取り除くとは?

前田 大度

父は、わたしの中にある枝で実を結ばないものを全て取り除き、そして実を結ぶものを全て、もっと多く実を結ぶように刈り込みをされる。
(エマオ出版訳 ヨハネの福音書15章2節)

この「取り除く」と訳された言葉は、ギリシア語のアイローで、下にあるものを上に持ち上げたり、取りのけたりする動作を表します。ヨハネの福音書の他の箇所では、「世の罪を負う(アイロー)神の子羊」(1:29)や、「床を取り上げよ(アイロー)」、「彼らはイエスに投げつけようとして、石を取った(アイロー)」等で使われています。


そして、この言葉がぶどう作りに用いられる時は、専門的な意味を持ちます。イスラエルのぶどう園は、日本のように人間の身長よりも高いぶどう棚を作ることはなく、比較的低い高さでぶどうを栽培します。時には、地面を這わせて栽培することさえあります。


まだ収穫の時期でない春先、地面に這わせているぶどうの枝で、風通しや日当たりが悪いために実を結んでいない枝があると、農夫は支柱をあてがって、枝を持ち上げる(アイロー)のです。また、すでに実を結んでいる枝には刈り込みをして、豊かな実を結ばせようと一生懸命手入れをするのです。

以上の背景をふまえて、ヨハネの福音書15章2節を次のように訳すこともできます。

父は、私の中にある枝で、実を結んでいないものを全て持ち上げ、実を結んでいるものは全て刈り込み、もっと多く実を結び続けるようにされる。
(ヨハネの福音書15章2節) 

これはまさに、今日、御父が私たちに対して行っておられる働きです。私たちが地上にべったりとくっついていると、実を結べません。霊的に新鮮な空気が届かず、みことばの光が十分に当たらないからです。そこで御父は、実を結ぶことを妨げているものから、私たちを引き離そうと働かれます。また、すでにいくらかの実を結んでいても、余計なところに養分が吸い取られていると、豊かに実を結ぶことができません。時間やお金や体力を、この世のことに吸い取られてしまって、それ以上実を結ぶことができなくなっているなら、刈り込みが、それも時には、かなり大がかりな刈り込みが必要となります。私たちは御父に、大いに刈り込んで頂きましょう。

こうして、私たちが多くの実を結ぶことができたなら、すばらしい結果があります。

お前たちが多くの実を結び続け、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになる。
(エマオ出版訳 ヨハネの福音書15章8節)

何と、私たちが、御父の栄光を現されて頂けるのです。もちろん、実を結ぶ者にも大きな喜びが与えられ、さらには報いまで与えられます。ですから、私たちは現状で良しとせず、いっそう多くの実を結ぶことを求め続けましょう。