二世紀の終末論

嶌村貴

二世紀に、ローマ帝国のガリア(現在のフランス・リヨン)の教会の牧会者でエイレナイオス(130年頃~202年)というギリシャ人がいました。この人はポリュカルポス(69年頃~155年頃)から学んだ人でしたが、そのポリュカルポスは使徒ヨハネから学びと訓練を受け、牧会者として任命された人でした。

その当時グノーシス派という異端があり、エイレナイオスはその異端の間違いについて全五巻の「異端反駁」という本を紀元180年代に書きました。その第五巻に、彼は終末について多くのことを書いています。その日本語訳が2017年に初めて出版されました。1800年以上前に書かれた本ですし、異端の教えに反論する目的で書かれた物であるため、教理解説書のように体系立ててまとめられておらず、わかりにくいところもあります。しかし非常に興味深いことが書かれていますので、その中から、いくつか引用します。引用は「キリスト教教父著作集3・Ⅲエイレナイオス5 異端反駁v」(大貫隆訳 教文館 2017年)からですが、聖書の引用は新改訳2017に差し替えました。〔 〕内の言葉は日本語版の訳者が挿入したものです。

エノクは神のお気に召した。そして神のお気に召したその身体のまま取り去られた。そのことによって彼は、やがてその他の義人たちも同じように取り去られることを予示したのである。エリヤもまた被造の身体にあるままで天に上げられた。そのことによって彼はやがて霊的な人々も同じように天に上げられることを予言したのである。(V:5:1)

「第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らの後に、もう一人の王が立つ。彼は先の王たちと異なり、三人の王を打ち倒す。いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを悩ます。彼は時と法則を変えようとする。聖徒たちは、一時と二時と半時の間、彼の手に委ねられる。」(ダニエル7:23~25)この最後の文章は三年と六箇月という意味であり、その間彼〔反キリスト〕が地を支配するということである。このことについても、再び使徒パウロがテサロニケの信徒に宛てた第二の手紙の中で、彼〔反キリスト〕の登場してくる理由を述べながら、こう言っている。「その時になると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御口の息をもって殺し、来臨の輝きをもって滅ぼされます。不法の者は、サタンの働きによって到来し、あらゆる力、偽りのしるしと不思議、また、あらゆる悪の欺きをもって、滅びる者たちに臨みます。」(Ⅱテサロニケ2:8~10)」 (V:25:3)

 
彼〔反キリスト〕は自分の王国が続く間に、同じように〔神を忘れて敵に報復する〕だろう。すなわち、自分の王国をそこ〔エルサレム〕へ移して、そこにある神殿に座すだろう。そして彼のことをあたかもキリスト〔メシア〕であるかのように拝む者たちを欺くだろう。(V:25:4)

さらに、ガブリエルは彼〔反キリスト〕の専制支配〔の終わり〕の時を指し示している。それは神に清い捧げ物を捧げてきた聖徒たちが追われて逃げるようになる時である。すなわち、ガブリエル曰く、「彼は……半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。」(ダニエル9:27)週の半分というのは、三年と六箇月のことである。(V:25:4)

それゆえに、終わりの時に、教会がこの場所〔地上〕から突然取り去られるときには、「世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです」(マタイ24:21)と聖書は言うのである。すなわち、これが義人たちの最後の戦いであって、彼らはそれに勝利を収めて、不滅性の冠を戴くことになるだろう。 (V:29:1)

しかし、反キリストが地上のこの世界のすべてのものに荒廃をもたらし、三年六箇月にわたって支配し、エルサレムの神殿に座したならば、その時にこそ主が天の雲に乗って、父の栄光の中に、やって来られるだろう。そして彼〔反キリスト〕と彼に聞きしたがう者たちを、火の池に投げ込むだろう。しかし、義人たちには、王国の時を、すなわち安息をもたらしてくださるだろう。それは聖別された第七日のことである。そしてアブラハムに約束された子孫を再興されるだろう。その王国では、東と西からやってきた多くの人々が、アブラハム、イサク、ヤコブとともに祝宴の席につくだろう、と主は言われる。(V:30:4)

イザヤはもう一度まとめて、こう言っている。「狼と子羊はともに草をはみ、獅子は牛のように藁を食べ、蛇はちりを食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼすこともない。――主は言われる。」(イザヤ65:25)もっとも、ある人々はこの文言をかつての野蛮人たちに当てはめて解釈しようと試みている。すなわち、もともとさまざまな民族に属して雑多なことをしていたが、〔その後主を〕信じるようになり、その後は義人たちと思いを一つにしている者たちを指していると言うのである。もちろん、わたしもこの解釈を知らないわけではない。しかし、さまざまな民族からなる不特定の人間たちが同じ一つの信仰の下に集まり、彼らの間でそういうことが今現に起きるのであれば、義人たちが復活するときには、なおさら動物たちの上に、書かれたとおりのことが〈起きてしかるべきであろう〉。(V:33:4)

「見よ、わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこではもう、泣き声も叫び声も聞かれない。そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命を全うしない老人もいない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者はのろわれた者とされる。彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者たちは、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。」(イザヤ65:18~22)この種の〔予言的な〕ことをアレゴリー〔寓喩〕化しようと試みる者たちがいる。しかし、もしそうするならば、すべてのことが自己矛盾せずに調和しているとは言えないことになるだろう。(V:34:4-35:1)

「彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。」(イザヤ65:21)すなわち、これらの文言はすべて、義人たちが復活する時に関して言われているのであって、そのことには異論の余地がないからである。その復活は反キリストが到来した後、そして彼の支配に服したすべての民が滅びた後に起きるのである。その復活に与った義人たちは地を支配するだろう。(V:35:1)

すなわち、あの王国の時が終わった後で――とヨハネは言うのであるが――「また私は、大きな白い御座と、そこに着いておられる方を見た。地と天はその御前から逃げ去り、跡形もなくなった。」(黙示録20:11)そしてヨハネは普遍的な〔万人の〕復活と審判についても説明して、大小さまざまな死人たちの姿を見たと言っている。彼の言うところでは、「海はその中にいる死者を出した。死もよみも、その中にいる死者を出した。」(黙示録20:13)「数々の書物が開かれた。」(黙示録20:12)彼はまたこう言う、「書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。……それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。」(黙示録20:12、14)これは「ゲヘナ」と呼ばれるもので、主はそれを火の池と呼ばれた。ヨハネはさらに言う、「いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。」(黙示録20:15)さらにその後で、こう言っている。「また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。」(黙示録21:1)(V:35:2)

その日について、ダビデはこう語った。「これこそ主の門。正しい者たちはここから入る。」(詩篇118:20)これは義人たちの王国の第七千年紀のことである。そこでは被造物が新たにされる。(V:36:3)

以上を時間順にまとめると次のようになります。

教会が地上から突然取り去られる
反キリストがエルサレムの神殿に入り、三年六か月、地を支配する
キリストが天の雲に乗って再臨され、反キリストを火の池に投げ込む
義人が復活し、千年の王国に入る
王国の後に大きな白い御座の裁きが行われる
新しい天と新しい地が始まる

エイレナイオスは、預言を解釈する方法について、「寓喩化(象徴として解釈)してはならない。文字通りに理解すべき」と何度も語っています。

彼はギリシャ人であったらしく、読み学んでいた旧約聖書はヘブル語原文ではなくギリシャ語の七十人訳でした。その結果、七十人訳が不明瞭に翻訳した箇所の理解が不正確であったり、神のことばである旧約聖書と、七十人訳に付け加えられていた人間のことばである外典を少し混同した箇所があります。また当時は迫害が非常に激しく、前述のポリュカルポスも火あぶりにされ殺されました。ですから当時のクリスチャンたちは、サタンによる迫害と、神の怒りの時である患難時代の苦しみを混同し、自分たちが受けている迫害を患難時代の苦しみの始まりのように考えたようです。その結果、不正確、不明瞭なところもあります。例えば患難時代の前半の三年半については全く言及していない、また反キリストが教会を迫害すると記述されているなどです。それでも、聖書の引用だけを用いて論証する方法や、聖書を文字通りに理解するべきであるという態度は、現代の私たちと全く同じであると言えます。

エイレナイオスは使徒ヨハネの弟子の弟子であったので、私たちよりももっと正しいはずだ、ということではありません。どの時代であっても、私たちの信仰の基礎は聖書だけであり、聖書のみを通して神様は今も真理を明確に示し続けておられます。

それでも、エイレナイオスが残した文書は、ヨハネが召されてまだ百年もたたない頃に、教会で終末についてどのように語られ、信じられていたか、聖書がどのように理解されていたかが垣間見える興味深い歴史の記録と言えます。