コリント人への手紙第一
1
- 神のみこころによるキリスト・イエスの召人である使徒パウロと、兄弟ソステネから、
- コリントにある神の教会へ。すなわち、あらゆる所において、私たちの主イエス・キリストの御名を呼び求めているすべての者たちと共に、彼らの主であり私たちの主であられるキリスト・イエスによって聖別されている、召された聖徒たちへ。
- 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、あなたがたの上に恵みと平安があるように。
- 私は、キリスト・イエスにあってあなたがたに与えられている神の恵みのゆえに、あなたがたについて、常に私の神に感謝しています。
- なぜならば、あなたがたが、あらゆることばにも、あらゆる知識にも、あらゆることに、キリストにあって豊かにされているからです。
- それゆえに、あなたがたの間では、キリストの証が強固にされています。
- その結果として、あなたがたは賜物には何一つ不足しておらず、私たちの主イエス・キリストの現れを熱望するようになっています。
- 主は、あなたがたを終わりまで必ず堅く保ち、私たちの主イエス・キリストの日には非難されるところのない者として(立たせてくださいます)。
- 神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられているのです。
- それで、兄弟たち。私たちの主イエス・キリストの御名のゆえに、私はあなたがたにお願いします。どうか、あなたがた全てが、心を一つにし、あなたがたの中に分裂がないように、またあなたがたが同じ心と同じ考えで完全に一致していてくださるように(願います)。
- 私の兄弟たち。実は、あなたがたについて、クロエの家の人たちによって、あなたがたの間に言い争いがあるということが私に報告されたのです。
- すなわち、私が言わんとしていることは、あなたがたの各々が、私はパウロに付く、私はアポロに、いや私はケパに属する、私はキリストのものである、と言っている、ということです。
- キリストは分割されてしまっているのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのではないでしょう。あるいは、あなたがたはパウロの名にバプテスマされたのですか。
- 私は、クリスポとガイオ以外のだれをもバプテスマしたことがないことを神に感謝します。
- ですから、あなたがたが私の名によってバプテスマを受けたとは、だれも言えないのです。
- 私はステパナの家族もバプテスマしました。そのほかのだれをもバプテスマした覚えがありません。
- それは、キリストが私を遣わされたのは、私がバプテスマするためではなく、福音を宣べ伝えるためであったからです。それも、知恵のことばによらずにです。それは、キリストの十字架が空しくならないためです。
- なぜならば、この十字架のことばこそ、滅びに向かっている者たちには愚かしいものですが、私たち救われる者にとっては神の力(の現れ)であるからです。
- (聖書には)次のように書かれているからです。「私は賢い者たちの賢さを滅ぼす。そして悟りある者たちの悟りを無にする。」
- 賢い者はどこにいますか。学者はどこにいますか。この世の議論家はどこにいますか。神はこの世界の知恵が愚かであることを暴露されたのではないですか。
- この世が(己が)知恵によって神を知ることができないことは、神の知恵によることです。それゆえ、神は福音の愚かしさを通して、信じる者を救うことを良しとされたのです。
- 実にユダヤ人はしるしを求めており、ギリシア人は知恵を求めています。
- しかし、私たちは、ユダヤ人にはつまずきの原因であり、異邦人には愚かしさである、十字架につけられたままのキリストを宣べ伝えています。
- しかし、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者にとっては、キリストは神の力、また神の知恵(の現れ)であられます。
- なぜならば、神の愚かさは、人間の賢さよりもはるかに賢く、神の弱さは、人間の強さよりもはるかに強いからです。
- ですから、兄弟たち。あなたがたの召しについて考えてください。肉に関して賢い者は多くなく、権力のある者も多くなく、身分の高い者も多くいません。
- しかし、神は、世の中の賢い者を辱めるために、愚かな者を選ばれました。そして、強い者を辱めるために弱い者を選ばれたのです。
- そして神は、世の中の卑しい者たちと蔑まれた者たち、すなわち、存在しないような者たちをお選びになりました。それは、存在のある者たちを無用な者にするためでした。
- それは、全ての者に神の御前で誇らせないためです。
- この御方のものであるあなたがたは、キリスト・イエスの中にあるのです。キリストは私たちのための、神からの知恵、義、聖、そして贖いとされたのです。
- それは(聖書に)、「誇る者は主を誇れ。」と記されているとおりです。
2
- 兄弟たちよ。私があなたがたのところに行ったのは、ことばや知恵の卓越さによって神の奥義をあなたがたに宣べ伝えるためではありません。
- なぜならば、私は、あなたがたの間では、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたイエス・キリスト以外に何も知るまいと心を決めていたからです。
- しかも私は、非常な弱気と恐怖とで身震いしながら、あなたがたの所に現れたのです。
- そして私のことばも、私の宣教も、説得上手な知恵の言葉に拠らず、御霊(の働き)と(神の)力に拠る立証によったのです。
- それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵(の働き)に拠るのではなく、神の御力(の働き)に拠るものとなるためであったのです。
- しかし、私たちは成人の間では知恵を語ります。しかし、それはこの世の知恵でもなく、またこの世の滅び行く支配者たちの知恵でもありません。
- 神が、世々の始まる前に、私たちの誉れのために、あらかじめ定められたのですが、今まで隠されていたその神の知恵を、私たちは奥義(という形)で語るのです。
- その知恵を、この世の支配者たちのうちのだれ一人知りませんでした。もし知っていたならば、栄光の主を十字架につけはしなかったはずです。
- しかし、それは、次のように書かれているとおりです。
「目が見たことのないもの、そして耳が聞いたことのないもの、そして人の心に思い浮かんだことがないものを、神は神を愛する者たちのために備えておられる。」 - しかし、私たちに、神は御霊を通してその奥義を啓示してくださいました。それは、御霊が、全てのことを、実に神の(御心の)深いところまでを探られるからです。
- 人の中にあるその人自身の霊以外に、その人自身のことを知る者が、だれか他にいるでしょうか。このように、実に神のことは、神の御霊以外に知る者はいません。
- 私たちは、この世の霊を受けたのではありません。私たちが受けたのは、神からの御霊です。それは、私たちが、神が私たちに賜ったものを知るためなのです。
- 私たちは、それらを人間の知恵によって教えられた言葉にはよらず、御霊によって教えられた言葉によって語り、霊のことを霊によって判断するのです。
- しかし、生まれつきの人は、神の御霊に関することを受け入れません。それは彼には愚かなことであり、そして彼はそれを理解できないからです。なぜならば、それは霊の分野において判断されなければならないからです。
- 霊的な人は全て(の信者の言葉)を判断しますが、(不信者の)だれによっても判断されません。
- なぜならば、「だれが主の霊を推し量り、主の顧問として教えたのか。」(と書かれているとおりであるからです。)しかし、私たちはキリストの心を持っています。
3
- 兄弟たち。私もあなたがたに、霊の人に対するように話すことができず、肉の人、すなわちキリストにある幼児に対するようにしか話すことができませんでした。
- 私はあなたがたに乳を飲ませましたが、固い食物を与えませんでした。なぜならば、あなたがたがそれを食することができなかったからです。実は今でもなおできません。
- あなたがたが今なお肉的だからです。あなたがたの間には嫉妬と口論があるのですから、あなたがたは肉的で、人間流に歩んでいるではないですか。
- ある人が、「私はパウロに属する。」と言うと、他の人は、「私はアポロに。」と言っているようなら、あなたがたは(肉の)人並みではないですか。
- では、アポロとは何者ですか。パウロとは何者ですか。彼らは、あなたがたが信じるための、しかも主が各々にお与えになった役目に従って用いられた下僕にすぎません。
- 私は植え、アポロは水を注ぎました。しかし、神が育てておられたのです。
- だから植える者も、水を注ぐ者も取るに足りません。重要なのは育ててくださる神です。
- 植える者と水を注ぐ者は一つです。しかし、各々は、それぞれ自分の労苦に従って自分の報酬を受け取ります。
- なぜならば、私たち*は神の(ための)同労者であるからです。あなたがたは神の畑であり、神の建物です。
- 私に与えられた神の恵みに従って、私は賢明な建築士として基礎を据えました。そして他の者がその上に建築しています。しかし各々は、自分がどのように建築するかに注意すべきです。
- なぜならば、だれも、据えられている基礎の他に、別のものを据えることはできません。その基礎とは、イエス・キリストです。
- だれかがその基礎の上に、金、銀、宝石、木、草、わらを(使って)建てるならば、
- 各人の働きが明らかにされます。なぜならば、その日が必ず明白にするからです。それは火によって暴露され、そして各々の働きがどのようなものであるのかを、その火が試して、その真価を必ず明らかにします。
- もし、だれかが建てた働き〈建物〉が残るならば、その人は報酬を受けます。
- もしだれかの働き〈建てた建物〉が焼き尽くされれば、その人は損失を受けます。しかし、その人自身は、火をくぐって救われる者のように救われます。
- あなたがたは、自分たちが神の神殿であり、あなたがたの中に神の御霊が住んでおられることを知らないのですか。
- もしだれかが神の神殿を破壊するならば、神がその人を破壊されます。なぜならば、神の神殿は聖であるからです。あなたがたは(そのような性質の)神の宮です。
- だれも自分自身を欺いてはなりません。もしあなたがたの中のだれかが、自分がこの世の賢者であると思っているならば、賢者になるために愚か者になりなさい。
- なぜならば、この世の知恵は、神の御前においては愚かであるからです。(聖書には、)「(神は)賢い者たちを、彼らの悪賢さによって捕らえる御方」と書かれています。
- そして、さらに、「主は賢い者たちの論議が空しいことを知っておられる。」(と書かれています。)
- ですから、だれも人間(指導者)を誇ってはいけません。なぜならば、全てのものがあなたがたのものであるからです。
- パウロだろうが、アポロだろうが、ケパだろうが、世界だろうが、いのちだろうが、死だろうが、今あるものだろうが、未来のものだろうが、全てはあなたがたのものです。
- それで、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです。
- 9.*「私たち」=パウロとアポロ
4
- こういうわけで、人は私たちを、キリストの下働き人、また神の奥義の管理人と見なしていなさい。
- さて、次に大切なことは、管理人たちの中においては、だれであっても、(主人に対して)忠実でなければならないことです。
- それで、私にとって、あなたがたによって評価されることも、また公衆の目にさらされることも極めて取るに足りないことなのです。また、私は私自身をも評価しません。
- 実に、私には何一つやましいところがありません。しかし、そうだからといって私が全く正しいと認められていると言うのでもありません。私を評価される方は主です。
- ですから、あなたがたは、主が来られる前に、先走って何も評価しないようにしなさい。主は暗闇に隠されていたものを明るみに出し、人の心の中の考えを明らかにされます。そしてその時、各々に神からの賞賛が与えられます。
- それで、兄弟たちよ、私はこれらのことを、あなたがたのために、私自身とアポロに当てはめて語ってきました。それは、あなたがたが書かれていることを越えてはいけないことを私たちによって学ぶためであり、高慢になって、ある一人を、他の人より優れているけれど、その他の人よりも劣っているなどと見なすようなことにならないためです。
- いったいだれがあなたがたを(他より優れていると)判定できるのですか。あなたがたが今持っているものは全て、与えられたものではありませんか。それで、もし与えられたものであるならば、どうして与えられなかったかのごとくに誇り高ぶるのですか。
- あなたがたはすでに満腹しています。すでに満ち足りています。私たちを差し置いて王様になっています。いや、王様になっていたら良かったものを。そうしたら、私たちもあなたがたと共に、今、王様になっていることでしょう。
- 私たちは、神が私たち使徒を、終わりに死ぬに定まっている剣士として引き出されたと考えています。なぜならば、私たちは世界に、すなわち御使いたちと人々に、見せ物とされたからです。
- 私たちはキリストのための愚か者ですが、あなたがたはキリストによる賢者です。私たちは弱くて、あなたがたは強い者です。あなたがたは有名人ですが、私たちは卑しめられています。
- 今の時に至るまで、私たちは実に、飢え、渇き、裸であり、迫害され、宿無しです。
- そして自分の手で働きながら労苦しています。ののしられても祝福し、迫害されても耐え忍び、
- 悪口を浴びせられても励ましています。私たちは世のくずのように扱われており、今に至るまで、あらゆるもののかすにされています。
- 私は、これらのことを、あなたがたを辱めるために書いているのではありません。そうではなくて、私の愛する子どもとして諭すためにです。
- たといあなたがたが、キリストにある養育係を一万人持っていようとも、確かに父親は多くいません。実に福音宣教によってキリスト・イエスにあって、この私があなたがたを生んだのです。
- それで、あなたがたにお願いします。私に見習う者になってください。
- このことのゆえに、私はテモテをあなたがたに遣わします。彼は、主にあって私の愛する、また忠実な息子です。彼は、私が至る所の全ての教会で教えているとおりに、キリスト・イエスにある私の生活の仕方をあなたがたに思い出させるでしょう。
- ある人々は、私があなたがたのところに行くことはあるまいと、思い上がってしまっています。
- しかし、主のみこころならば、すぐにあなたがたのところに行きます。そして思い上がっている人々のことばではなく、(その)力を確かめましょう。
- 神の統治は、ことばによるのではなく、力によるのであるからです。
- あなたがたは、私があなたがたのところにどちらを持って行くことを望みますか。鞭ですか。それとも優しさから出た愛の心ですか。
5
- 実際に、あなたがたの間に、淫行があると聞かされています。そして、その淫行は異邦人の中にもないほどのもので、ある者〈単数〉が自分の父の妻と一緒になっているということです。
- それでもあなたがたは誇り高ぶっています。むしろ、あなたがたは、この行為を行った者〈単数〉があなたがたの間から取り除かれるように、悲しむべきであったのではないですか。
- なぜならば、私が、肉体では離れていても、実際に霊ではそこにいて、
- このことを行った者を、その場にいる者として、すでにさばいてしまっているからです。
- すなわち、私たちの主イエスの御力と共に、あなたがたと私の霊が集められた時、その男の肉体が(今)滅ぼされても、主(イエス)の日に(彼の)霊が救われるよう、主イエスの御名によって彼をサタンに引き渡したのです。
- あなたがたの誇り高ぶりは、良いことではありません。わずかのパン種が、粉全体を発酵させることを知らないのですか。
- あなたがたはパン種なしであるべきですから、新しいパン生地であるために、古いパン種を直ちに取り除いてしまいなさい。なぜならば、実に、私たちの過越(の小羊)であられるキリストがほふられたからです。
- そのようにして、古いパン種や悪意と邪悪のパン種によらないで、パン種の入っていない、誠実さと真実さのパンをもって祝いをしましょう。
- 私はあの手紙の中に、悪を行う者たちとは親しく交際しない*ようにと、あなたがたに書きました。
- しかし、それはこの世の中の淫行を行う者たちや、貪欲な者たち、強奪する者たちや、偶像礼拝する者たちと全く交際してはならないと言ったのではありません。もしそうならば、(あなたがたは)*世から出て行かなければならないでしょう。
- だれかが、兄弟と呼ばれていながら、淫行を行う者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、悪口を言う者、酔っぱらい、強奪する者であるならば、そのような者たちと交際したり、食を共にしたりしてもいけない、とあなたがたに、今、書いています。
- なぜならば、外部の者たちをさばくことは、私には関係がないからです。内部の者たちを、あなたがたはさばくのではないですか。
- 外部の者たちは神がさばかれます。実に「あなたがたの中からその淫行を行う者〈単数〉を直ちに出してしまいなさい。」〈と書いてある通りです。〉
- 9.*「交わらない」から「交際しない」に訂正
- 10.*「私たちは」から「(あなたがたは)」に訂正
6
- あなたがたの中のある者は、仲間の者に対して訴訟問題を持った時、聖徒たちの前でその判断を受けずに、どうしてあえて不正な者〔不信者〕たちの前で判決を受けようとするのですか。
- それとも、聖徒たちがやがて世をさばくことを知らないのですか。そして、あなたがたが世をさばくのに、あなたがたは、ごく小さなことをもさばく能力がないのですか。
- 私たちはやがて御使いをさばくということを知らないのですか。日常生活のことならなおさらです。
- それでも、日常生活上の問題での訴訟事件が起きると、あなたがたは、教会の中で全く無視されている者らを(裁判官の)席に着かせるのですか。
- 私はあなたがたに恥ずかしい思いをさせるために語っているのです。ということは、あなたがたの中には、自分の兄弟を、真ん中で仲裁することができる賢い者が一人もいないということですか。
- その逆に、兄弟が兄弟によって訴えられています。しかも、これが不信者の前でとは。
- ですから、あなたがた自身の間で告訴事件があることが、あなたがたにとって、すでに全くの敗北であるのです。なぜ、あなたがたは、一層のこと不正を甘受していないのですか。なぜ、一層のこと騙し取られていないのですか。
- その反対に、あなたがたは不正を行っており、騙し取っています。しかもそれを兄弟に対してです。
- それともあなたがたは、不正な者が神の国を決して相続できないことを知らないのですか。騙されてはなりません。不品行を行う者、偶像を礼拝する者、姦淫を行う者、男娼となる者、男色を行う者、
- 盗人、欲張り者、酔っぱらい、人をののしる者、略奪する者らは、神の国を相続できません。
- 実に、あなたがたのある者たちはこのような者でした。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの御名によって、また私たちの神の御霊によって、洗われ、聖別され、義とされました。
- さて、「私には全てのことが自由です。」しかし、全てが益ではありません。「私には全てのことが自由です。」しかし、私はどんなものによってでも支配されてはなりません。
- 「食物は胃のためにあり、胃は食物のためにあります。」しかし、神はあれもそれも滅ぼすことができます。身体は不品行のためにあるのではなく、主のためにあり、そして主は身体のためにあります。
- それで、神は、実に主をよみがえらされました。そして私たちをも、ご自身の御力によってよみがえらせてくださいます。
- 私たちのからだがキリストのからだの部分であることを知らないのですか。それでは、あなたはキリストのからだの一部を取って、遊女のからだの部分にするのですか。そんなことを行うことは絶対に許されません。
- それとも、あなたがたは、遊女と淫行を行う者は、(遊女と)一体になることを知らないのですか。なぜならば、「ふたりは一体となる。」と神が言っておられるからです。
- しかし、主と交わる者は、(主と)一つ霊であるのです。
- 淫行を(継続して)避けなさい。「人が犯す罪は全て、身体の外部のことです。」*淫行を行っている者は、自分自身のからだに対して罪を犯しているのです。
- それとも、あなたがたは、あなたがたのからだが、あなたがたが神から受けて、今、あなたがたの内にいます聖霊の宮であり、そしてあなたがたは、*あなたがた自身のものではないことを知らないのですか。
- なぜならば、あなたがたは高価な代価で贖い取られたからです。どのようにしてでも、あなたがたのからだで神の栄光を現しなさい。
- 18.*コリントのある者たちの言葉として「」を挿入
- 19.*「そしてあなたがた自身の」から「そしてあなたがたは、あなたがた自身の」に訂正
7
- 手紙に書かれてあったことに関して(返事します)。「男性にとって女性と(性的)関係を持たないことは良いことです。」
- しかし、姦淫の〔を避ける〕ために、男は各々、自分の妻を持ち、女は各々、自分の夫を持ちなさい。
- 夫は妻に義務を果たしなさい。同じように妻も夫に(義務を果たしなさい)。
- 妻は自分の身体を自由にする権利を持っておらず、それを持っているのは夫です。同じように、夫も自分の身体を自由にする権利を持っていません。それを持っているのは妻です。
- 祈りに専念し、再び一緒になるために、合意の上でしばらくの間だけ(別れている)以外に、お互いの権利を奪い取ってはいけません。サタンがあなたがたの自制力のなさによってあなたがたを誘惑に引き込まないためです。
- しかし、私はこれらのことを命令として語っているのではなく、譲歩として語っているのです。
- 私は、全ての人が、私のようになることを願っています。しかし、各々は神から独自の恵みを頂いています。ある人はこのように、他の人はあのようにです。
- それで、私はやもめの男と女に言います。もし、彼らが私のように(独身の状態に)とどまっていることができるならば、それは、彼らにとって良いことです。
- しかし、自制ができなければ、彼らに結婚させなさい。なぜならば、情欲が燃え上がるよりは、結婚したほうが良いからです。
- 私は、すでに結婚している人々に命令します。それは私ではなく、主です。妻は夫から別れてはいけません。
- それで、もし別れているならば、結婚せずにいるか、それとも夫のところに復縁しなさい。*また、夫は妻と別れてはいけません。
- 私はその他の人々に言います。(言うのは)私であって、主ではありません。もし兄弟のだれかが不信者の妻を持っていて、彼女が夫と一緒に住み続けることに同意しているならば、彼女と別れてはいけません。
- *また、妻が不信者の夫を持っていて、彼が彼女と一緒に住み続けることに同意しているならば、その夫と別れてはいけません。
- なぜならば、その不信者の夫は、その妻によって聖められており、また不信者の妻は、その夫によって聖められているからです。もしそうでなければ、あなたがたの子どもは汚れていることになります。しかし、聖いのです。
- しかし、もし不信者が別れて行くのであれば、別れて行かせなさい。その兄弟、あるいは姉妹は彼らによって拘束されません。神はあなたがたを平和(な生活)のために召されたのです。
- なぜならば、妻よ。あなたが夫を救えるかどうか、どうして分かりますか。あるいは、夫よ。あなたが妻を救えるかどうか、どうして分かりますか。
- むしろ、神が各々を召してくださって、主が各々に割り与えてくださったように(召しに従って)歩むべきです。実に、私は全ての教会においてそのように命じています。
- だれかが召されたときすでに割礼を受けていたならば、その跡を隠すようなことをしてはいけません。だれかが無割礼の状態で召されたのであれば、割礼を受けてはいけません。
- 割礼も無意味であり、無割礼も無意味です。しかし、神の命令を心して守ることが(有意義なのです)。
- 各々は、召されたときの召しに留まっていなさい。
- あなたは、召されたとき奴隷であったのですか。気にしてはいけません。しかし、もし自由になることができるならば、むしろ(その機会を)使いなさい。
- なぜならば、主によって召された奴隷は、主の自由人であり、同じように召された自由人も、キリストの奴隷であるからです。
- あなたがたは高価な代価で買い取られたのです。人間の奴隷になってはいけません。
- 兄弟たちよ。各々は召されたときのままの状態で、神の御前に留まっていなさい。
- 私は、処女に関しては主から命令を受けていません。それで、主から憐れまれて忠実である(と認められた)者として、私は意見を与えます。
- 現在の危機のゆえに、次のようにしていることが男にとって良いことであると、私は思います。
- あなたが妻に結ばれているなら、解かれることを求めてはいけません。妻から自由にされているならば、妻を求めてはいけません。
- しかし、たといあなたが結婚しても、罪を犯すのではありません。処女が結婚しても罪を犯すのではありません。しかし、そのような人たちは、肉体において苦しみを味わうでしょう。私は、あなたがたを惜しむのです。
- 兄弟たち、私は言います。時は縮められています。だから、今からは、妻を持っている者たちは持っていない者のようにしましょう。
- そして、泣いている者は泣いていない者のように、喜んでいる者は喜んでいない者のように、そして買う者は買わない者のようにしていましょう。
- この世を用いる者は、貪欲に用いないように。なぜならば、この世の有様は過ぎ去って行くからです。
- それで、私はあなたがたに思い煩わないように願います。結婚していない者は、どのようにして主を喜ばそうかと主のことに心を使います。
- しかし、結婚している者は、どのようにして妻を喜ばそうかと世のことに心を使います。そして、心が分かれてしまっています。
- しかし、結婚していない婦人や処女は、からだも霊も聖くあろうと主のことに心を使います。しかし、結婚している者は、どのようにして夫を喜ばそうかと、世のことに心を使います。
- 私は、これらのことをあなたがた自身の益のために語っています。それは、あなたがたに束縛の縄をかけるためではなく、あなたがたが気を散らすことなく、主に対して気品良く、そして誠実に仕えるためです。
- しかし、もしだれか自分の処女の娘について、自分の取り扱いが世間的に体裁が悪いと思っているなら、そして、もし彼女の婚期も過ぎようとしているならば、またそのようにすべき事情が起きたならば、彼女の望んでいることを行わせなさい。彼女は罪を犯すのではありません。彼らに結婚させなさい。
- しかし、彼が心の中で堅く決意しており、強制される事情がなく、自分の意志どおりに事を決定する自由を持っている人が、心の中で自分の処女の娘を結婚させずにおくと決意しているならば、それを実行しなさい。
- ですから、自分の処女の娘を結婚させる人は、良いことをしているのであり、結婚させない人は、一層良いことをしているのです。
- 妻は夫が生きている間は縛られています。しかし、もし夫が死ねば、欲する男と結婚する自由があります。ただし、主にある者とのみです。
- 私の意見に従って、もしここに留まっているならば、その人は一層幸いです。私は神の御霊(の導き)を得ていると思っています。
- 11.*「そして」から「また」に訂正
- 13.*「そして」から「また」に訂正
8
- さて、偶像に供えた肉に関してですが、「私たちの全てが知識を持っている」ということなら知っています。しかし、そのような知識は人を高慢にしますが、愛は人の徳を高めます。
- もし、だれかが、自分は何かを知っていると考えるなら、その人は知らなければならないほどのことも、まだ知っていないのです。
- それで、もし、だれかが神を愛しているならば、その人は神によって知られているのです。
- そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、私たちは、この世には偶像の神などは、まったく存在しないことを知っています。また唯一の(真の)神以外に神は存在しないことを私たちは知っています。
- 確かに、あたかも多くの神々があり、多くの主があるかのごとくに、天にも地にも神と呼ばれるものが多くありますが、
- *私たちには、父なる神のみがおられるだけで、この御方から全てのものが出ているのであり、この御方に私たちは至るからです。また私たちには唯一の主イエス・キリストがおられるだけで、この御方によって全てのものと私たちが存在しているからです。
- しかし、この知識が全ての者にあるのではありません。それで、ある者たちは今もなお、偶像礼拝になじんだ習慣によって(肉を)偶像に供えたもの(に何か意味がある)として食べ続けています。そして彼らの良心は弱いので、汚されて〔役に立たなくなって〕います。
- *「しかし、食物は私たちを神に近づけません。」たとい食べなくても(霊的に)欠乏することはないし、また食べても(霊的に)豊かになるわけではありません。
- それで、このあなたがたの権利が、(良心の)弱い人々をつまずかせるものにならないように、よく注意しなさい。
- なぜならば、もし、だれかが知識を持っているあなたが偶像の宮の中で食卓についているのを見たならば、その人の良心が弱いために、その人は偶像に供えた肉を大胆に食べるような人にならせられるからです。そういうことにならないでしょうか。
- すると、その弱い人が、あなたのそのような知識によって滅ぼされることになります。その兄弟のためにもキリストは死なれたのです。
- このようにして、あなたがたは、その兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの無力になっている良心に打撃を与えることによって、キリストに対して罪を犯すことになります。
- それですから、私は、もし食物が私の兄弟をつまずかせるならば、私の兄弟をつまずかせないために、いつまでも、決して肉を食べません。
- 6.*訂正前:「私たちには父なる神のみが(存在するのです)。その御方から、その御方ご自身のために、全てのものと私たちが出ているのであり、私たちには唯一の主イエス・キリストのみがあり、その御方によって全てのものと私たちが存在しているのです。」
- 8.*ある者たちの言葉として「」を挿入
9
- 私は自由人ではないですか。私は使徒ではないですか。私は私たちの主イエスを見たのではないですか。あなたがたは、主にあっての私の働きの実ではないのですか。
- たとい私が他の人々にとっては使徒でなくても、実にあなたがたにとっては、使徒です。なぜならば、あなたがたは、主にあって、私が使徒であることの(神の)確認の証印であるからです。
- これが私を審問にかけようとしている者たちに対する、私自身のための弁明です。
- 私たちは、食べたり飲んだりする権利を持っていないのですか。
- 私たちは、他の使徒たちや、主の兄弟たちや、ケパのように、姉妹である妻を連れて歩く権利を持っていないのですか。
- あるいは、私とバルナバだけが、自分を支えるための働きを止める権利を持っていないのですか。
- いったい、生活費を自分で稼いでいる兵士がいるでしょうか。ぶどう畑を作りながら、その実を食べない者がいるでしょうか。あるいは、羊の群れを飼いながら、羊の乳を飲まない者がいるでしょうか。
- 私がこのように言うのは、人間的ですか。律法自体が次のように言っているではないですか。
- 実に、モーセの律法の中に、「脱穀している牛にくつこを掛けてはならない」と書かれています。神は牛に(だけ)配慮しておられるのではないでしょう。
- 私たちのことも合わせて語っておられるのではないですか。私たちのためにもです。なぜならば、耕す者が望みをもって耕すことは当然であり、脱穀する者がその実にあずかる望みを持つことは当然であると書かれてあるからです。
- 私たちが、あなたがたに霊のものを蒔いたのですから、あなたがたから物質的なものを収穫することは、ひどいことではないはずです。
- もし他の人々が、あなたがたから報酬を受ける権利の一部を手にすることが許されているのなら、私たちはなおさらではないでしょうか。しかし、私たちはその権利を用いませんでした。私たちはキリストの福音にどんな妨げも与えないようにと、全てのことを耐え忍んでいます。
- 聖なるもののために働いている者が、宮に属するものを食していることを、あなたがたは知らないのですか。祭壇に仕えている者が、祭壇の供え物にあずかっていることを知らないのですか。
- 同じように、*また主は、福音を宣べ伝えている者が、福音宣教から生活の支えを得るように定められたのです。
- しかし、私は、それら〈権利〉を一つも使ったことがありません。また、私のためにそのようにするようにと書いているのでもありません。そんなことをするぐらいなら、私は死んだほうがましです。この私の誇りをだれも無効にはできません。
- なぜならば、私が、福音を宣べ伝えても、私の誇りとはならないからです。なぜならば、私には(福音宣教の)義務が負わされているからです。私が福音を宣べ伝えないなどと思うだけでも、ぞっとします。
- もし、私が(召しに)喜んで(応じて)これを行っているのなら、報酬を受けます。しかし、自発ではなく、任務が私に課せられているのです。
- では、何が私の報酬でしょうか。それは、私が福音伝道において、私の権利を*使い切らずに、人々に無償で福音を伝えることです。
- 私はどのような人からも束縛を受けていません。しかし、より多くの人を獲得するために、私は、私自身を全ての人のための奴隷にしました。
- そして、私はユダヤ人を得るために、ユダヤ人に対してユダヤ人のようになりました。律法の下にいる者を得るために、私自身は律法の下にいませんが、律法の下にいる者たちに対して律法の下にいる者のようになりました。
- 私は、律法を持たない者たちのために、私自身は神の法を持たない者ではなく、キリストの支配下にある者ですが、律法を持っていない者を得るために、律法を持っていない者のようになりました。
- 私は、弱い者を得るために、弱い人々のために、弱い者のようになりました。私はあらゆる場合に、いくらかの人々を救うために、あらゆる人のためにあらゆる人になりました。
- それで、私は、福音のためにあらゆることを行っています。それは、私も福音宣教(の実)にあずかる者にならせていただくためです。
- 競技場で走る者の全てが走るのですが、賞を獲るのはただ一人だけだということを、あなたがたは知らないのですか。ですから、賞を獲得できるように走りなさい。
- 競争する者は、だれでも節制しています。その者たちは、実に朽ちる冠を獲るためにですが、私たちは朽ちない冠を(獲るためにそうしています)。
- だから、私は、目標が分からない者のようにではなく、そのように(目標に向かって)走っています。私は、空を打つ者のようにではなく、そのように〔敵を倒すように〕拳闘しています。
- 実に、私は、他の人々に福音を宣べ伝えながら、私自身が福音宣教の失格者にならないために、私のからだを打ちのめし、奴隷にしています。
- 14.*「実に」から「また」に訂正
- 18.*「全く使うことなしに」から「使い切らずに」に訂正
10
- 兄弟たち。私はあなたがたが次のことに無知であって欲しくありません。すなわち、私たちの先祖が全て雲の中におり、全てが海を通り、
- そして全ての者が雲と海によってモーセにバプテスマされ〔モーセのものとされ〕ました。
- そして、全ての者が同じ霊の食物を食し、
- そして、全ての者が同じ霊の飲み物を飲みました。すなわち、付いて来た同じ霊の岩から飲んでいました。その岩は、キリストのこと〈型〉です。
- しかし、神は、彼らの大部分を好ましく思われませんでした。それで、彼らは荒野で滅ぼされました。
- これらのことは、彼らが悪を貪ったように、私たちが悪を貪る者にならないための、私たちへの見せしめです。
- また、彼らのある者たちが偶像を礼拝したように、あなたがたも偶像礼拝者になってはなりません。「民は座って飲み食いし、そして立って踊った」と書かれているとおりです。
- また、彼らのある者たちが淫行を行って、一日に二万三千人が倒れたように、私たちも淫行を行ってはなりません。
- 彼らのある者たちが、主を試してみるようなことをして、毒蛇に殺されたように、私たちも主を試してみることをしてはなりません。
- 彼らのある者たちが不平を鳴らしたため、滅ぼすものによって滅ぼされたように、あなたがたも不平を鳴らしてはなりません。
- これらのことは、見せしめとして彼らの身に降りかかっていたのです。そして、世の終わりに当たっている私たちのための警告のために記されました。
- ですから、立っていると思う者は、倒れないように気を付けなさい。
- 全ての人に共通していない試練があなたがたを襲うことは決してありません。神は、真実な御方です。神は、あなたがたの耐える力を越えた試練で、あなたがたが試みられることを決してお許しになりません。試練と共に、それに耐えることができるように出口をも必ずお与えになります。
- それですから、私の愛する者たち、偶像礼拝を(継続して)避けなさい。
- 私は分別のある者に対するように語っています。私が述べようとしていることを判断しなさい。
- 私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの御血との交わりではないですか。そして、私たちが裂くパンは、キリストの御からだとの交わりではないですか。
- それは私たちが大勢の者であっても、一つのパン(のように)、一つのからだであるからです。なぜならば、私たち全てが一つのパンを共に食するからです。
- 肉によるイスラエル人を見なさい。生け贄を食する者たちは、(神の)祭壇と交わる者たちではありませんか。
- いったい、私は何を言っているのでしょうか。偶像に供えた物に、何か意味があると言っているのですか。あるいは、偶像に何か意味があると言っているのですか。
- そうではありません。彼らは、動物を屠ってその肉を、神にではなく、悪霊に供えているのです。それで、私は、あなたがたが悪霊と交わる者になって欲しくないのです。
- あなたがたは、主の杯を飲み、また(同時に)悪霊の杯を飲むことはできません。あなたがたは、主の食卓にあずかり、また(同時に)悪霊の食卓にあずかることはできません。
- それとも、私たちは主をねたませてもよいのでしょうか。私たちは主よりも強いのですか。そうではないでしょう。
- 「私には全てのことが自由です。」しかし、全てのことが有益ではありません。「私には全てのことが自由です。」しかし、全てのことが徳を高めるのではありません。
- だれも自分自身(の利益)を求めないで、他の人々(の利益)を求めなさい。
- 全て市場で売られている物は、何一つ、(食べて良いか悪いかと)良心に問うことなしに、食べなさい。
- なぜならば、地とそれに満ちている物は、主の物であるからです。
- もし不信者のだれかがあなたがたを招待し、またあなたがたも行きたいならば、あなたがたの前に出された物は全て、何一つ(食べて良いか悪いかと)良心に問うことなしに食べなさい。
- しかし、もしだれかがあなたがたに、「これは生け贄として供えられた物です。」と言うならば、そう知らせた人のために、また(その人の)良心のために食べてはいけません。
- 私が語っている良心とは、あなたがた自身の良心ではなく、もう一人〈知らせてくれた人〉の良心のことです。「では、どうして私の自由が他人の良心によってさばかれるのですか。
- もし、私が感謝をもって食べるなら、なぜ私が感謝して食べる物のことで非難されなければならないのですか。」
- しかし、あなたがたは、食べること飲むこと、あるいは、なすこと全てを、神の栄光のために行いなさい。
- あなたがたは、ユダヤ人にも、ギリシア人にも、また神の教会にも、つまずきとならないようにしなさい。
- ですから、私は、多くの人々が救われるようにと、私自身の利益を求めず、多くの人々の利益を求めて、全てのことで、全ての人に喜んでもらおうとしているのです。
11
- 私もキリストに見習っているように、あなたがたも私に見習う者になってください。
- さて、私は、あなたがたが私の(教えた)全てのことを心に留めており、私があなたがたに伝えたとおりに言い伝えを守っているので、あなたがたを誉めます。
- しかし、私があなたがたに知って欲しいことは、全ての男のかしらがキリストであられ、女のかしらが男であり、キリストのかしらが神であられるということです。
- 頭を何かで覆って祈り、あるいは預言する男は、自分の頭を辱めているのです。
- しかし、頭を覆わずに祈り、あるいは預言する女は、自分の頭を辱めているのです。それは、彼女の頭を剃ってしまったことと全く同じなのです。
- 女が頭を覆わないならば、頭を剃ってしまいなさい。しかし、もし髪の毛を短く切ること、あるいは頭を剃ることが女にとって恥ずかしいことであるならば、頭を覆いなさい。
- 一方、男は神の形と栄光であるので、頭を覆うべきではありません。他方、女は男の栄光であるのです。
- 実に、男が女から造られたのではなく、女が男から造られたのです。
- そして、実に男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのです。
- このことのゆえに、女は、御使いたちのために、頭の上に権威(に服しているしるし)を持つべきであるのです。
- けれども、主にあっては、男なしに女はなく、女なしには男もありません。
- なぜならば、女が男から出たように、男も女を通して出て来たのだからです。しかし、全ては神から出ているのです。
- あなたがた自身の間で判断しなさい。女が頭を覆わずに神に祈ることは似つかわしいでしょうか。
- 自然自体が、男がもし髪の毛を長く伸ばしているならば、彼自身の恥であると、あなたがたに教えていませんか。
- もし女が長い髪を持っているなら、それは彼女の栄光です。なぜならば、長い髪の毛は、彼女にベールの代わりに与えられているからです。
- しかし、たといだれかが異論を唱えたがっているように見えても、私たちは、(反対する者が主張している)そのような習慣を持っていません。また神の諸教会にもありません。
- さて、私は次のことを(あなたがたに)命令しているのであって、誉めているのではありません。なぜならば、あなたがたは、より良くなるためにではなく、より悪くなるために集まっているからです。
- 第一に、あなたがたが教会に一緒に集っても、あなたがたの間に分裂があると私は聞いています。そして私は、ある程度(それを)信じています。
- なぜならば、実際に、あなたがたの中の適格者が明らかにされるためには、あなたがたの中に分派がなければならないほどだからです。
- 実に、あなたがたが一緒に集まるのは、主の晩餐を食するためではありません。
- すなわち、食事を取るとき、各々が、自分の夕食を(勝手に)取るので、空腹の人もあるのに、酔っている人もいる始末です。
- あなたがたは、食べたり飲んだりするための家を持っていないわけではないでしょう。それともあなたがたは神の教会を侮っているのですか。あるいは、そのようにして、貧しい人々に恥をかかせたいのですか。私にはあなたがたに言うべき言葉がありません。あなたがたを誉めましょうか。いや、このことに関しては誉めることができません。
- 実に、私は主から受けたことを、あなたがたに伝授しました。すなわち、主イエスは、引き渡される夜に、パンを取り、
- そして、感謝をささげてから(それを)裂かれました。そして、「これは、あなたがたのためのわたしのからだである。これを、わたしを思い出すために行え。」と言われました。
- また、夕食の後、杯も同じようにして、「これは、わたしの血による新しい契約の杯である。飲む毎に、わたしを思い出すために、これを行え。」と言われました。
- ですからあなたがたが、そのパンを食し、その杯を飲む毎に、主が来られるまで、主の死を公に宣言しているのです。
- ですから、ふさわしくない方法で、そのパンを食し、その杯を飲むような者はだれでも、主のからだと血に対していつまでも罪ある者とされます。
- それで、人は、自分自身がそれにふさわしいことを証明しなさい。それから、そのようにしてそのパンを食し、その杯を飲みなさい。
- 実に、(キリストの)御からだを弁えないでパンを食し、杯を飲む者は、自分自身にさばきを飲み食いしているのです。〔その飲み食いによってさばかれます。〕
- そのことのために、あなたがたの間には、身体の弱い者、病気がちの者が多く、また眠った者〈死んだ者〉もかなり多数います。
- しかし、もし私たちが自分自身を十分にさばいているならば、さばかれることはないはずです。
- しかし、もし私たちが主によってさばかれるならば、それは、私たちが、世とともに断罪されないようにと、懲らしめられているのです。
- ですから、私の兄弟たち。私たちが食事に集まる時は、互いに待ち合わせましょう。
- もし、だれかが空腹であるならば、さばきを招くために集まるようなことがないように、家で食事を摂りなさい。その他のことは、私がそちらに行くことができた時に、指示します。
12
- さて、兄弟たち。私は、あなたがたが御霊の賜物について無知であって欲しくありません。
- あなたがたは、異邦人であったとき、自分が連れて行かれた時はいつでも、ものを言えぬ偶像のところに(無意識に)連れて行かれていたということを知っています。
- それゆえ、私は、あなたがたに教えましょう。すなわち、神の御霊によって語っている者はだれ一人、「イエスはのろわれよ。」とは言わず、また聖霊によらない限り、だれも、「イエスは主です。」と言うことができない、ということです。
- しかし、御霊は同じですが、その賜物には相違があります。
- そして、主は同じですが、奉仕に違いがあります。
- 働きに違いがあります。しかし、同じ唯一の神が全ての人の中にあって、全てのことを働かせておられます。
- しかし、各々に(皆の)益のために、御霊の現れが与えられています。
- ある者には御霊を通して知恵の言葉が与えられており、他の者には、同じ御霊に従って知識の言葉が、
- 別の者には、同じ御霊によって信仰が、また、他の者には同じ一つの御霊によって癒しの賜物が、
- 他の者には、奇跡を行う力が、そして他の者には預言の能力が、他の者には霊を見分ける力が、別の者には種々の異言が、他の者には色々な異言の解き明かしが(与えられています)。
- 一つの、そして同じ御霊が、これら全てを働かせておられるのであって、御霊ご自身が決められるとおりに、これらを各々個別に分け与えられるのです。
- すなわち、からだは一つでも、多くの部分を持っており、からだの部分が多くても、からだが一つであるのと全く同じく、実にキリストもそうなのです。
- そして、実に一つの御霊によって、あなたがた全ては、一つのからだにバプテスマされたのです。そして、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、全てが一つの御霊を飲まされたのです。
- 実に、からだは一つの部分ではなく、多くの部分でできています。
- もし足が、「私は手ではないから、からだには属してはいない。」と言ったとしても、それだからといってからだに属さなくなるわけではありません。
- そして、もし耳が、「私は目ではないから、からだに属してはいない。」と言ったとしても、からだに属さなくなるわけではありません。
- もし、からだ全体が目ならば、どこで聞くのですか。もし、全体が耳ならば、どこで嗅ぐのですか。
- しかし、事実、神はからだに、ご自身が決められたとおり、各部分をそれぞれの場にお置きになりました。
- もし、全てが同じ部分であるとすれば、からだは何処にあるのですか。
- しかし、部分は多数であっても、からだは一つです。
- それで、目は手に向かって、「私はあなたを必要としない。」とは言えません。また頭が足に向かって、「私はあなたがたを必要としない。」とも言えません。
- それどころか、からだの部分で弱く見えるものが一層必要なのです。
- そして、私たちが、からだの部分であまり価値がないと考えている部分にこそ、一層の価値を認めるべきであり、私たちのからだで見苦しいと見える部分がかえって美しい姿を持っています。
- 私たちのからだの美しい部分には(その)必要がありません。しかし、神は、(美しさの)劣っている部分に一層の価値を与えることによって、からだに調和をお与えになりました。
- それは、そのからだに分裂がなく、からだの部分が互いに助け合うためです。
- そして、一つの部分が苦しめば、からだ全体が共に苦しみ、一つの部分が誉れを受けると、からだの他の部分全体が共に喜ぶためです。
- それで、あなたがたは、キリストのからだであり、各々がその部分であるのです。
- そして、神は教会の中に、ある者たちを第一に使徒に任命されました。そして、第二にある者たちを預言者に、第三に教師らを任命されました。それから、奇蹟を行う賜物、それから、癒しの賜物、助ける賜物、治める賜物、異言の各種〔色々な異言〕をお与えになりました。
- 全ての者が使徒ではないでしょう。全ての者が預言者ではないでしょう。全ての者が教師ではないでしょう。全ての者が奇蹟を行わないでしょう。
- 全ての者が癒しの賜物を持っていないでしょう。全ての者が異言で語らないでしょう。全ての者が異言を解き明かさないでしょう。
- それで、より優れた賜物を熱心に求めなさい。
そして、一層優る道を私はあなたがたに示しましょう。
13
- たとい、私が人間の異言などや御使いの異言などで語っても、もし愛を持っていないならば、私はやかましいドラや、大きな音を立てるシンバルになってしまっているのです。
- そして、もし私が預言(の力)を持っていて、その上全ての奥義と全ての知識を持っていても、そして、もし私が山を移すほどの全き信仰を持っていても、愛を持っていないならば、私は無価値です。
- たとい、私が自分の全所有物を(貧しい人々に)分け与えても、また私が大いに喜んで自分のからだを人に与えても、愛を持っていないならば、私は全く益を受けません。
- 愛は寛容であり、親切です。愛はねたまず、自分を吹聴せず、高慢になりません。
- 愛は不作法なことを行わず、自分の利益を求めません。愛は怒らず、悪を計りません。
- 不正を喜ばず、真理を喜びます。
- 全てのことを忍び、全てのことを信じ、全てのことを望み、全てのことを耐えます。
- 愛は決して価値を失いません。預言も無用にされます。異言は、自ら止みます。知識も無用にされます。
- 私たちは、部分的なものに基づいて知っています。そして部分的なものに基づいて預言しています。
- 完全なものが現れたとき、部分的なものに基づくものは無用にされます。
- 私たちが幼子であった時、幼子として語り、幼子として考え、幼子として論じていました。大人になった時、幼子であった時のことは捨てました。
- 今、私たちは、ガラスを通して(のように)御顔をぼんやりと見ています。しかし、その時、顔と顔とを合わせて見ます。今、私が知っているのは一部分です。しかし、その時、実に今私が完全に知られているように、私は(その御方を)必ず完全に知るようになります。
- それですから、信仰と希望と愛の三つのものが残ります。それらの中で一番価値あるものは愛です。
14
- あなたがたは愛を追い求め続けなさい。また御霊の色々の賜物を、中でも預言することができるように(預言の賜物を)一層熱心に求め続けなさい。
- 「異言を語る者は、人にではなく神に対して語っています。なぜならば、たとい霊で奥義を語ってもだれも聞いていないからです。」
- しかし、預言している人は、人の徳を高めることと、勧めと励ましになることを人々に語っています。
- 「異言を語っている者は、自分自身の徳を高めています。」しかし、預言している者は、教会全体の徳を高めています。
- 私があなたがた全てに望むのは、異言を語ることよりも、むしろ預言することです。教会が徳を高められるためには、異言を語る者よりも、その人自身が解き明かしをしないならば、預言する者のほうが、はるかに優れています。
- さて、それで、兄弟たち。もし私があなたがたのところに来て、異言で語ったとしても、私があなたがたに啓示や知識や預言や教えによって語らない限り、あなたがたに何かの益を与えることができるでしょうか。
- 笛や琴などいのちのない楽器でも、はっきりした音を出さなければ、何を吹いているのか、何をひいているのか、どうしてわかるでしょうか。
- また実際に、ラッパが、はっきりしない音を出したなら、だれも戦闘の準備ができないではないですか。
- それと同じように、あなたがたも意味の明瞭な言葉で語らない限り、異言によって語っても、どのようにして語られていることを(聞いている人々に)理解してもらえるでしょうか。実際に、あなたがたは空気に向かって語っていることになるのです。
- 世の中には、多くの言葉がありますが、仮にあったとしても、意味のない言葉は一つもないのです。
- ですから、もし私が、言葉の意味を知らないならば、私は、語っている人にとって未開人になり、語っている人は、私には未開人になるでしょう。
- このように、あなたがたも御霊の賜物について熱心であるのですから、教会の徳を高めることに向けて、一層豊かに満ち溢れるほどになるように、(御霊の賜物を)求め続けなさい。
- このゆえに、異言で語る者は、解き明かしする力が与えられるように、祈り求めなさい。
- もし、私が異言で祈るならば、私の霊は祈りますが、しかし、私の知性は実を結びません。
- それではどうすべきでしょうか。私は霊によって祈り、同時に知性によっても祈りましょう。霊によって賛美し、同時に知性によっても賛美しましょう。
- そうでなければ、もし、仮にあなたが霊によって感謝をささげても、普通の人の席に着いている人は、あなたが何を語っているのか分からないのですから、どのようにしてあなたの感謝にアーメンと言えるでしょうか。
- なるほど、あなたは立派に感謝するでしょうが、一方で、他の人は徳を高められ得ません。
- 私は、あなたがたの全てよりも多く、異言で語ることができることを神に感謝しています。
- しかし、私は、教会においては、異言で一万の言葉よりも、他の人々を教えるために五つの言葉を知性で語りたいのです。
- 兄弟たち。考え方において幼児であってはなりません。しかし、悪事については幼児でありなさい。考え方においては大人でありなさい。
- 律法には次のように記されています。『外国人の言葉をもって、そして外国人の唇をもって私はこの民に語ろう。しかし、このようにしても彼らは私の言うことを聞かない。』
- ですから、異言は信者のためのしるしではなく、不信者のためのしるしです。しかし、預言は不信者のためのしるしではなく、信者のためのしるしです。
- しかし、もし全教会が一所に集まり、全員が異言を語っている時に、知識のない人々、あるいは不信者たちが入って来たならば、その人たちは、あなたがたが気違いであると言わないでしょうか。
- もし、全員が預言していて、(そこに)一人の不信者、あるいは知識のない人が入って来たならば、全員によって罪を責められ、(心が)さばかれます。
- その人の心の中の隠されているものが明らかにされ、そしてそのようにして、倒れ伏して神を礼拝し、「確かに、あなたがたの間に神がおられる。」と告白します。
- では、兄弟たち。どうすべきでしょうか。一緒に集まる時、各人が賛美することができ、教えることができ、啓示を語ることができ、異言を語ることができ、異言を解くことができます。しかし、全てを、(教会全体の)徳を高めるために行いなさい。
- だれが異言を語っても、二人ずつ、最多で三人、順番に、そして一人に通訳させなさい。
- 通訳する人がいなければ、教会では黙っていなさい。そして、自身で神に向かって語っていなさい。
- それで、預言者たちには、二人、あるいは三人に語らせなさい。他の者たちには吟味させなさい。
- もし、他の座っている者に、啓示が与えられたならば、初めの者は黙りなさい。
- なぜならば、全ての者が教えられ、また励まされるために、全員が一人ずつ預言することができるからです。
- 預言者たちの霊は、預言者たちに従います。
- なぜならば、神は混乱の神ではなく、平和の神であられるからです。
聖徒たちの全ての教会で行われているように、 - 女たちは、教会では黙っていなさい。彼らは語ることが許されていません。(モーセの)律法も語っているように、服従していなさい。
- もし、何かを学びたいならば、家で自分の夫に尋ねなさい。なぜならば、女が教会の中で語ることは恥ずかしいことであるからです。
- それとも、神のみことばが、あなたがたから出たのですか。あるいは、ただあなたがたのところにのみ来たのですか。
- もし、だれかが、自分を預言者、あるいは霊の人と認めるならば、今、私があなたがたに書いていることが主の命令であることを、はっきりと知りなさい。
- だれでも(このことを)認めない者は、認められません。
- それですから、私の兄弟たち。預言することを熱心に求め続けなさい。そして、異言で語ることを禁じてはいけません。
- そして、全てのことを気品良く、また秩序正しく行いなさい。
15
- 兄弟たちよ。私は、福音をもう一度あなたがたに知らせます。実にその福音は、私がすでにあなたがたに宣べ伝えたものであり、そして、その時、あなたがたはそれを受け入れ、そしてあなたがたは今、その福音に(受け入れたとき以来)堅く立っており、
- またあなたがたは、私が宣べ伝えたその福音のことばを、漫然と信じたのではなく、それを今しっかりと保っているならば、その福音によって救われているのです。
- なぜならば、その福音は私自身にも宣べ伝えられたものであり、私はそれを最も重要なこととして、あなたがたに伝えたからです。すなわち、それは、キリストが聖書に従って私たちの罪のために死なれたこと、
- そして、葬られたこと、そして、聖書に従って三日目によみがえらされ(生きておられる)ことです。
- そして、キリストは、ケパに現れ、その後、十二弟子に現れ、
- その後、五百人以上の兄弟たちに同時に現れられました。その中の大部分は今なお生きていますが、少数のものはすでに眠りました。〔肉体的に死にました。〕
- その後、ヤコブに現れ、その後、全ての使徒たちに現れられたことです。
- そして最終的に、未熟児のような私にも現れてくださいました。
- 私は使徒たちの中で最も劣った者であり、使徒と呼ばれる資格のない者です。なぜならば、私は神の教会を迫害したからです。
- しかし、神の恵みによって、私は今ある私になったのです。そして、私に対する神の恵みは無駄になりませんでした。私は、彼ら全てよりもはるかに多く労苦しました。しかし、(それを行ったのは、)私ではなく、私と共にある神の恵みです。
- 私にせよ、彼らにせよ、このように私たちは宣べ伝えているのであり、このようにあなたがたは信じたのです。
- ところで、キリストが死者たちの中からよみがえらされて生きておられると宣べ伝えられているのに、どうしてあなたがたの中のある者たちは、死者たちの復活がないと言っているのですか。
- もし死者たちの復活がないなら、キリストは復活させられていなかったはずです。
- もし、キリストが復活させられていなかったならば、私たちの宣教は、実に、空しいものとなり、そしてあなたがたの信仰も空しいものになり、
- さらに、(今すでに、)私たちは神の偽証人であると見破られている(はずです)。なぜならば、もし仮に、死者たちが復活させられないならば、神はキリストを復活させなかった(はずな)のですから、私たちは神が復活させなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に不利な証言をしたことになるからです。
- なぜならば、もし、死者たちが復活させられないのであれば、キリストも復活させられていないはずであるからです。
- それで、もしキリストが復活させられていなかったならば、あなたがたの信仰は無意味であり、あなたがたは今なお、あなたがたの罪の中にいることになるのです。
- それだけではなく、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったことになるのです。
- もし、私たちが、この生涯中にキリストにただ単に希望を置いているだけであるならば、私たちは、あらゆる人間の中で最も悲惨な者であるのです。
- しかし、今や、キリストは、死者たちの中から復活させられて、眠っている者たちの初穂となられました。
- 死がひとりの人を通して(来たの)ですから、死者たちの復活もひとりの人を通して(来なければなりません)。
- すなわち、アダムにあって全ての人が死ぬように、キリストにあって全ての人がよみがえらされるのです。
- しかし、その各々に定められた順番があります。初穂であるキリスト、その後に、キリストの再臨の時に、キリストに属している者たちです。
- その後に終わりが(来ます)。その時、キリストは、神であり父であられる御方に、王としての支配権をお渡しになります。その時、同時に、(サタンとその悪霊の)全ての支配権と全ての権威と権力を廃止してしまわれます。
- なぜならば、キリストは、全ての敵をご自身の足の下に置いてしまわれるまで、王として支配し続けられなければならないからです。
- 最後の敵である死は滅ぼされます。
- なぜならば、キリストは万物を御足の下に従わせられるからです。万物が(キリストに)従わせられていると神が仰せになる時、それが、万物をご自分に従わせられた御方〈キリスト〉以外であることは当然です。
- しかし、万物が彼〈御子〉に従わせられたならば、次に、御子ご自身も、万物をご自分に従わせられた御方〈御父〉にやがて従われるのです。それは(父なる)神が全てにおいて全てとなられるためです。
- もしそうでなければ、死んだ者たちのためにバプテスマされる人々は、何をしようとしているのでしょうか。もし死んだ者たちが実際によみがえらされないなら、なぜ彼らは死んだ者たちのためにバプテスマされるのですか。
- 何のために私たちはいつも危険を冒しているのでしょうか。
- 私が、私たちの主キリスト・イエスにあって、あなたがたを誇りとしているその誇りにかけて(言います)。私は毎日死んでいるのです。
- もし私がエペソで、人間流に野獣(のような人間)と戦ったのなら、私には何の益もありません。もし死者たちがよみがえらされないならば、「食べよう。そして飲もう。明日、私たちは死ぬのだ。」(ということになります。)
- 騙されてはいけません。悪い交際は良い習慣を堕落させます。
- 身を正して、正気になりなさい。罪を犯し続けてはいけません。なぜならば、神について無知な者たちが、何人かいるからです。あなたがたを辱めるために、私は語っています。
- しかし、ある者は、「死んだ者らがどのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで出て来るのか。」と言うでしょう。
- 考えの浅はかな人たちよ。あなたが蒔く物は、死ななければ生かされません。
- しかもあなたは、麦の、あるいは他の穀物のでも、ただの種粒を蒔くのであって、それらの後のからだで蒔くのではありません。
- 神は、ご自分のみこころに従って、それぞれに特有のからだを決め、各種の種に独自のからだをお与えになりました。
- 全ての肉が同じ肉ではなく、人間の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉があります。
- また天上のからだがあり、地上のからだもあり、もう一方、天上の輝き、また他に地上の輝きがあります。
- 他に太陽の輝きがあり、また月の輝きがあり、また星の輝きがあります。また星の間にも、輝きに違いがあります。
- 実に、死者たちの復活もそのとおりです。朽ちる姿で蒔かれ、栄光の姿でよみがえらされます。
- 卑しい姿で蒔かれ、栄光の姿でよみがえらされ、弱い姿で蒔かれ、力ある姿でよみがえらされます。
- 肉に属するからだで蒔かれ、霊に属するからだでよみがえらされます。肉に属するからだがあるのですから、霊に属するからだもあります。
- それで、(聖書に、)「最初の人アダムは生ける魂〔肉〕となった。」〔「人は生きものとなった。」〕と書かれています。最後のアダム〈キリスト〉はいのちを与える霊(の人)になられたのです。
- しかし、霊に属するものが最初からあったのではなく、肉に属するものが(最初に)あったのであり、その後に霊に属するものがあるのです。
- 第一の人は土から造られて地に属し、第二の人は天から来られました。
- 地に属する者たちは、その地に属する人に似、天に属する者たちは、この天に属する人に似ます。
- 私たちが、その地に属する人の似姿を着ていたように、実に天に属する人の似姿を必ず着ます。
- それで、兄弟たちよ。私は、このことを言います。血肉(のからだ)は神の国を継ぐことができません。朽ちるものは朽ちないものを継ぐことができません。
- 見なさい。私はあなたがたに奥義を語ります。私たちの全てが眠るのではありません。〔肉体的に死ぬのではありません。〕(私たちの)全てが変えられるのです。
- 最後のラッパの合図と共に、瞬く間に、一瞬のうちにです。すなわち、ラッパが鳴らされます。すると死者たちが朽ちない姿によみがえらされます。そして私たちは変えられるのです。
- なぜならば、この朽ちるものは、必ず、朽ちないものを着なければならず、この死ぬべきものは、必ず、不死を着なければならないからです。
- この朽ちるものが、朽ちないものを着て、この死ぬべきものが、不死を着る時、実にその時、「死は勝利に飲み込まれてしまった。」
- 「死よ。お前の勝利はどこにあるのか。死よ。お前の棘はどこにあるのか。」と記されている聖書のことばが実現されるのです。
- 死の棘は罪です。そして、罪の力は律法です。
- 主イエス・キリストを通して、私たちに勝利を与えてくださる神に感謝(します)。
- ですから、私の愛する兄弟たち。落ち着いて、動かされずにいなさい。あなたがたの労苦が、主にあって無駄ではないことをあなたがたは知っているのですから、常に主の御業にますます励みなさい。
16
- 聖徒たちのための募金については、私がガラテヤの諸教会に命じたことと同じことを実行しなさい。
- 私が(あなたがたのところに)行った時に、募金を集めることがないように、毎週の初めの日に、あなたがたの各人は、(神によって)祝福されて得た限りのものを、自分の側〔自分の教会〕に蓄えておくべきです。
- 私が(そちらに)到着した時、私は、あなたがたが認めた人々を、エルサレムにあなたがたの贈り物を運ぶように手紙を付けて送り出しましょう。
- もし、私も行くことが適当であると思われたならば、彼らは私と共に行くことになるでしょう。
- 私はマケドニアを通ってからあなたがたのところに行きます。私は、マケドニアを(諸教会を巡回するだけで)通過することにしています。
- 私が何処に行くにしても、あなたがたに送り出されて行けるように、私はあなたがたのところに、多分留まることになり、恐らく冬を過ごすでしょう。
- なぜならば、私は、あなたがたに旅の途中のついでに会いたいと思ってはいないからです。主がお許しくだされば、私はしばらくの間、あなたがたのところに留まりたいと願っています。
- それで、私は五旬節までエペソに留まります。
- それは、私の前に今、門が大きく、活動の機会が開かれているからです。しかし、反対する者も多いからです。
- もし、テモテがそちらに来たならば、彼があなたがたのところで心配することなく過ごせるように心掛けてください。それは、彼も私と同じように主の業を行っているからです。
- ですから、だれも彼を軽く見てはいけません。彼が私のところに来ることができるように、彼を平和のうちに送り出してください。それは、私が兄弟たちと共に彼を待っているからです。
- 兄弟アポロについてですが、私は、彼に兄弟たちと一緒にあなたがたのところに行くように、何度も勧めたのですが、今(あなたがたのところに)行く意志は全くありません。しかし、良い機会を得次第、彼はあなたがたのところに行くでしょう。
- 目を見張っていなさい。信仰にしっかりと立ち続けなさい。雄々しくありなさい。強くありなさい。
- あなたがたは、全てのことを、愛をもって行いなさい。
- 兄弟たち。私はあなたがたにお願いします。あなたがたは、ステパナの家族がアカヤ地方の初穂であり、聖徒たちのための奉仕に自らをささげていることを知っています。
- あなたがたも、そのような人々に、また彼らと共に働いている者たちに、また労苦している人々に従ってください。
- 私は、ステパナとポルトナトとアカイコに会えたことを喜んでいます。なぜならば、彼らは、あなたがたの欠けているところを補ってくれたからです。
- 彼らは、私の霊とあなたがたの霊を休ませて〔元気づけて〕くれました。あなたがたはこのような人々を認めなさい。〔尊敬しなさい。〕
- アジアの諸教会が、あなたがたに、よろしくと言っています。アクラとプリスカと彼らの家にある教会が、あなたがたに主にあって心からよろしくと言っています。
- 全ての兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。聖なる口づけをもってお互いに挨拶を交わしなさい。
- パウロ自身の手による挨拶です〔手で挨拶を書いています〕。
- だれでも主を愛さない《フィレイー》者は、滅び失せよ。マラナ・タ。〔私たちの主よ。来てください。〕
- 主イエスの恵みが、あなたがたと共にありますように。
- 私の愛は、キリスト・イエスによって、あなたがた全てと共にあります。